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霊的、現代的な観点から見た仏教の教えについて Part 12

 少しお休みしましたが、続きの文章を載せてゆきたいと思います。

 

③古代インドでは、神や悪魔の存在や、霊魂の存在や、天国や地獄の存在や、人間や生き物などの生まれ変わりは、ごくごく当たり前の概念だった

 三つめは、これも、かなりややこしい、というか、かなり面倒臭い内容の説明になってくるのですが、元々、古代インドにおいて、釈迦が教えを説いていた時代には、当時のインドや、インド周辺の地域の人々の感覚としては、「神や悪魔がいるのは当たり前」、「霊魂があるのも当たり前で、人間や生き物が、何度も生まれ変わっているのも当たり前」、さらには、「神の世界や、天国や地獄や、地上にほぼダブって存在している幽界のような世界があるのも当たり前」というような世界だったので、当然、当時の釈迦としては、そうした内容について、特にあえて強調して説明する必要性は全くなかったわけです。

 ところが、その後、仏教が栄えて、インドやインド周辺の霊的な波動が浄化されて、かなりすっきりしてしまったことも、かなり大きく影響していたと思うのですが(おそらく多くの人々の霊的な存在に対する畏敬の念や恐怖心が、かなり小さくなっていたのではないでしょうか・・・)、それから数百年後のインドや、インド周辺の地域では、そうした以前の時代の人々の感覚からすると、ほぼ理解不可能な主張、例えば、「空や無我だから、それぞれの人や生き物に固有の魂なんてないんだ」などというような、元々の仏教の教えの前提を、かなり大きく全否定してしまうような非常に学問的で権威主義的な仏教の流れに大きく変わっていってしまった時代があったようなのです。

 さらに近現代の科学全盛の時代になると、仏教の教え自体は、世界規模で非常に科学的に研究されるようになっていったような良い面もあるのですが、先ほども述べたように元々、仏教の教えでは、霊的な内容は、ごくごく当たり前の前提として説かれていたはずであったのに、一部の人々の間では、どう考えてみても、あまり霊的とは思えない、まるで「唯物論」や「無神論」や「無霊魂説」などのような主張を、かなり大々的に吹聴するような仏教の流れまで、あちこちに現れるようになってしまったようなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年6月12日 9:03 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化



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