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知ることと人間性の関係について Part 44

1、どんなに非常に優れた人がいるとしても、その人の非常に優れている部分と、普通の肉体で生活している部分は、しっかり分けて考えることが、とても大切である

  まず一つめは、これは前から何度も述べてきたような内容になるのですが、たいてい人間というのは、自分がわからない、できないようなことで、しかも、かなりのものすごい努力や能力が必要なことを成し遂げたような人がいると、ほぼ当たり前のようにそうした人を「偉い」とか、「凄い」とか、「素晴らしい」などと言って、非常に褒め讃えたり、尊敬したりすることが多いのではないか、と思われます。

 ところが、ここで多くの人々が、何となく、すぐに考えがちであるにも関わらず、実際には、かなり違っているのではないか、と思われるような内容があるのですが、それは、「人間的にものすごく素晴らしい人は、普通の人間と違って、全く何の欲も楽しみもなければ、何の痛みも苦しみもないのではないか」とか、「人間的に最も凄い人物は、完全な知性や能力を持った、常人とは全く違った別の存在なのではないか」などというような考え方になります。

 多くの人々の様子を見ていると、こうした感覚は、ほぼ無意識のうちに持っているように見受けられるようなところがあるのですが、ところが実際には、どんなに知性的に優れた、また人間的に優れた人物であったとしても、現在、みなさんが生きているような「人間の肉体」というスペックで生活している以上、よほどものすごい修行やトレーニングをした人でもない限りは、単純に言って、普通、一定時間活動していれば、お腹が空いたり、疲れてくることもあれば、また肉体的な怪我や病気をしたり、精神的なダメージを受ければ、それ相応の痛みや苦しみを感じることもあるだろうし、それから非常に長く活動し続けていれば、他の遊びや気分転換をしたくなったり、とてつもなく大変な疲労を感じたり、眠くなったり、性的な欲求を感じることもあるだろうし、さらには、どんなに優秀な人間であっても、時には様々な間違いや失敗をしてしまうこともあるのではないか、ということなのです。

 ところが多くの人々の様子を見ていると、知性的に凄い人や、人間的に素晴らしい人は、こうしたことをすべて克服した、まるで一種の超人なのではないか、などというように、なぜか、ほぼ無前提のうちに思い込んでしまっているところがあるようなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2020年11月20日 9:04 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 成功論、繁栄論 / 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 自然、生命



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