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戦前戦中の「大日本帝国」と戦後の「日本国」の違いについて Part 12

 第九には、あと、現代でも多くの日本人が、何となく凄かったのではないかと思い込んでしまうものに、戦前戦中の大日本帝国の戦艦や戦闘機のような軍備(代表例、「戦艦大和」や「零戦」など)があるのではないかと思うのですが、これは戦前も日本の海軍の指導者の人々が、当時の昭和天皇や陸軍の人々に散々申し入れていたようなのですが、当時の大日本帝国の軍備は、基本的に当時の中国やソ連や東南アジアの国々との戦争に対して準備されていたものなので、はっきり言うと、そもそも最初の時点から当時のアメリカやイギリス、オランダといった国々と太平洋やインド洋や東アジア全域といった広大な地域で長期戦を行うような軍備はなかったということです(太平洋戦争の開戦時には、イギリス、オランダは、当時のナチス・ドイツと交戦中で、アジア方面にはあまり戦力を避けなかったはずなのですが、アメリカはそうではなかったので・・・)。

 ですからアメリカ、イギリスとの開戦の前から、特に当時の日本の海軍の軍備としては、日本が戦争で主導権を握れるのは、最初の数ヶ月から一年ちょっとぐらいと冷静に予測していた人々がかなり数多くいたようです(つまり当時の日本が、いったんアメリカやイギリスなどと戦争を始めてしまうと、最初はうまく行ったとしても、数年以上の長期戦になった場合には、だんだん劣勢になってゆくことは、最初の時点から、かなりはっきり予測されていたようです)。

※それというのは、当時の日本の陸軍では、戦闘用の武器や戦車のようなものはあっても、基本的にマンパワーを中心としていたようなので、それなりにかなり精神論のようなものが言えたかもしれないのですが、当時の日本の海軍では、「この軍艦の速度や装備はこれこれで、こんな大砲や飛行機が積んであって、これだけの攻撃力と防御力があるので、いったん、これくらいの部隊同士の戦闘になった際には、おそらく、こういう結果になる」などというように、はっきり言うと人間同士の戦争というよりも、戦闘の訓練を受けた多くの人々が操る戦闘用の様々な機械同士の戦争になっていたようなところがあったからです(そうは言っても、いったん戦争が始まってしまうと、敵味方とも民間人を含めて大勢の人が傷ついたり、亡くなったりすることになるのですが・・・)。ですから、戦争時の作戦や訓練や慣れのレベルや駆け引きや運のようなものの影響はあったとしても、基本的には「軍艦や軍用機がこれだけある」とか、「軍艦や軍用機を動かす人員や物資や燃料はこれくらいある」とか、「このレベルの部隊と、このレベルの部隊が戦闘になった際には、こういう結果になる可能性が高い」というようなことが、あらかじめ、かなりの正確度で予測できるようなところがあったはずなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2015年7月15日 9:03 PM, 政治 / 歴史 / 社会、文化 / 経済 / 軍事



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