四つめは、これは少し変わった物の見方になるのですが、もし現在、自分が払った税金が、政治の世界があまり十分にうまく活用されていない、とか、自分としては、税金が少し高すぎるように感じている場合には、これは、少し逆説的な話になるのですが、そうした人は、半自動的に金額が決まってしまう税金以外に、それほど大金でなくても構わないので、あえて、何らかの形で、自分が興味を持っている慈善活動への寄付やボランティアのようなことを行うか、あるいは、政治家や政党への直接の寄付やボランティアのようなことを行うような解決策があげられます。
それというのは、人間というのは、自分があまりよく知らない、あまり関与していない世界には、わりとすぐに不平不満を持ちやすいのですが、そうではなく、自分が、ある程度、よく知っているとか、自分が積極的に何らかの形で関わっている世界には、それなりの意義や達成感を感じやすいものだからです。
ですから、もし自分の税金の使われ方に十分な意義が感じられない場合には、単なる受け身の一市民ではなく、もうひとランク上の立場で、寄付やボランティアの形で、より積極的に何らかの慈善活動に関わったり、あるいは、政治の世界に関わるような立場に立てば、そうした感覚が少し変わるような効果があるように思われます。
それから、五つめは、これも少し変わった提案になるのですが、「自分一人ぐらいが一票を投じても、政治の世界なんて全然変わるわけない」、というような思い込みの強い人は、自分が日頃接している人々の関係で構わないので、とにかく、自分が、ある程度、政治的に納得できるような政治家や政党がある場合には、一人ではなく、できれば、何らかのグループ単位でまとまった投票行動を心掛けてみる、というような方法が考えられます。
それというのは、先ほども述べたように、特に都市生活などで、あまりにも一人一人の個人がバラバラになってしまっていると、そうした一人一人の個人が、投票に際して、すぐに無力感や逃避願望を感じやすくなってしまいやすいのと、それから、政治家や政党の側でも、いったい、どこのどんな人達を具体的な対象にして、政治を行えばよいのか、ということが、非常に漠然として、わかりづらくなってきやすいからです。
そこで、これは、あくまで一人一人の個人が、自分の意思で自由に決めればよいことなのですが(つまり、あくまで誰かに強制されるような性質のものではないのですが・・・)、それぞれの人が、自分の属する会社や団体や、あるいは、何らかの市民や趣味のグループなどで、ある程度の数、まとまって、一緒に同じような投票行動をとるように心掛けるようにすれば、いろいろな形の、ある程度、まとまった人数のグループが、それぞれの政治家や政党に、緩やかであっても、きっちりくっついていることになるので、市民の側としては、いつも政治家や政党が、何をして、どんな成果をあげたのか、ということが、はっきりわかりやすくなるし、また政治家や政党の側としても、自分達が、政治を行っている対象や効果が、わりとはっきりとわかりやすくなるようなところがあるので、結果として、政治の世界が、もっと単純で楽しい効果的なものに変わってゆくのではないか、ということなのです(参考1、参考2、参考3、参考4、参考5)。
Cecye(セスィエ)