Light Symbol

天皇制について Part 4

 少し前の天皇制についての話の続きになります。

 

 日本の歴史を学ぶと、たいてい明治維新の辺りまではある程度、単純に理解できるのですが、戦争前の特に昭和の時代の辺りのことになると、次から次へといろいろな大変な出来事が起きていて、何が何だかよく分からなくなってくるようなところがあるのですが、これに関しては、大きく四つ言えます。

 

1、一般に昭和の大戦争は、軍部の暴走で全く避けられなかったと言われているが、当時の日本の天皇の権威は非常に強かったので、実際には、当時の昭和天皇が、かなり断固とした平和の意思を示せば、わりと簡単に戦争は回避できたはずである

 まず第一には、これは現代の日本人は、まだほとんど理解されていないのではないかと思われる内容になるのですが、実は現代の日本人には、ほぼ全く止めるのが不可能だったと信じられている日中戦争や太平洋戦争といった昭和の大戦争は、本当は途中で止めようと思えば、いくらでも止められるような方法が何通りもあったということです。

 それは、いったいどのような方法なのかというと、当時の日本の政治体制は軍国主義とか、帝国主義とか、いろいろ言われているのですが、要するにものすごく単純に要約すると、当時の天皇を唯一絶対の神のような立場に祭り上げて、その上で軍部がものすごい権力を握って絶対体制を敷くとか、その時々の内閣がいろいろな政治改革を行おうとするような政治体制だったので、つまりどこかの段階で、その当の昭和天皇自身が、「自分は、もうこんな体制は嫌だし、国民の幸せにもつながらないから、この明治時代に作った憲法は変えたいし、また政治体制も全然別のものに変えてしまいたい」と当時の政府や国民全体に対して、かなりはっきりとした形でしっかりと表明していれば、それで当時の日本の問題は、ほぼすべて一瞬でなくなってしまったのではないかということなのです。

 これは当時の日本人にも、また戦後の日本人にもかなり分かりづらい話に感じられるかもしれないのですが、ところが戦前であっても、また戦後であっても、おそらくその当の昭和天皇自身には、この問題はものすごく簡単に理解されていたのではないかということなのです。

 もう少し具体的に言うと、こんな感じです。

 例えば、軍部が勝手に暴走して、どんどん戦争を拡大してゆくような状況では、ほぼすべての国民は、いったい誰が責任者で、いったい誰がどんな決定の下にそうした状況を進めたのかということすら、なかなか分かりづらかったかもしれないのですが、ところが、そうした状況であっても、常にちくいち「現在、軍部の○○部隊は、どこそこに侵攻して、どんな戦果を上げ、どれくらいの損害を被りました」などというような当時の日本軍のほぼすべての状況を唯一正確に完全に知ることができたのは、その当時、昭和天皇とその側近の人々ぐらいだったのではないかということなのです。

 そうすると仮に当時の昭和天皇が、本当に戦争を心から望まない根っからの平和主義者のような人物であった場合には、多分、「もうこんな軍部の奴らにはうんざりだ。西洋の国のように、もっと民主的な形で選ばれた首相や内閣がしっかり政治を行ってくれればいいのに・・・」などという具合に自分自身の考えをきっちりと国民に示して、その上で憲法なり法律なりをしっかり改正して、戦後の日本の体制とまではいかなくても、もう少し民主的な政治体制に変えるぐらいのことは、はっきり言って、いくらでも可能だったのではないかということなのです。

 そうすると、「いや当時の日本は、軍部に実権を握られていて、たとえ昭和天皇であっても、軍部に逆らうような政治決定は全くできなかったはずだ」というような反論がすぐに出てくると思われるのですが、ところが、これは嘘で、実際には当時の日本は、現代の日本人から考えると、かなり行き過ぎた天皇崇拝体制を敷いていて、国中通津うらうらの学校に「御真影(ごしんえい)」と呼ばれる天皇や皇后の写真や、天皇直々の教えとされる「教育勅語」を飾らせて、すべての教職員や生徒に拝礼や奉読を強いるとか、それに従わない人間は教師や軍人や役人の職を強制的に止めさせるような、かなり強力な天皇支配体制を敷いていたのです。

※実際、軍部の独走の直接のきっかけになったとされる226事件では、「天皇親政」(天皇による理想の政治の実現)が直接の旗印であったし、逆にその天皇の命令で反乱がきっちりと鎮圧された経緯があります。

 ですから、はっきり言って、たとえどのような形であっても、その時々の適切な状況において、昭和天皇自身が直接表に出てきて、「これは自分の考えではない。自分は戦争は望んでいないし、もっと民主的な政治体制であることを心から希望する」(実際には、戦前戦中までは、その時々の天皇は「朕(ちん)」と自称していました)とか、「自分は普通選挙で民主的に選ばれた内閣を絶対的に支持する。それが天皇の意思である」とか、「もう明治時代とはかなり状況が変わっているので、自分は軍の指揮権(統帥権)は、よほどのことがない限り直接行使しないので、民主的に選ばれた内閣の政治決定に全軍はしっかり気を引き締めて従うように・・・」とか、「もはや明治憲法は時代の趨勢に合わないので、不磨の大典などと崇め立てずに、もっと自由で民主的な新憲法の制定を心から希望する」などというように内外に向けて明確に宣言していれば、当時の日本の状況は、実際かなり変わったのではないかということなのです。

 そうすると、ここで不思議なパラドックスが発生するのですが、実は戦前戦中、いくら軍部がものすごい権力をもって軍政を敷いていたとしても、当時の昭和天皇がしっかりと表に出てきて、「この軍事決定まではよしとするが、この軍事決定には絶対反対である」とか、「民主的に選ばれた、この首相や内閣のこの政治決定を、自分は全面的に支持する」などというように、かなり強硬に自分の意思を明確に示した場合には、おそらく当時の軍部のいかなる軍事決定も、また軍部に掌握された内閣の政治決定も、ほぼすべて完全にくつがえすことが可能だったのではないかということなのです(参考1参考2参考3)。

※明治天皇のところで述べたこととほぼ同じように、ここでも「天皇」という呼称は、宗教的な意味を全く持たない国王の意味で使っています。ですから「昭和天皇」の呼び名を普通の分かりやすい言葉に置き換えると、「裕仁(ひろひと)王(国王)」というような呼び名になるものと思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年7月25日 9:08 PM, おすすめ記事 / 政治 / 歴史 / 社会、文化 / 軍事



«

»

おすすめ記事

過去の記事