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太平洋戦争について Part 2

2、太平洋戦争の「開戦の詔」によれば、当時の昭和天皇裕仁を中心に太平洋戦争の開戦決定が下されて、当時の日本国民が全面戦争に巻き込まれていったことが、はっきり分かる

 太平洋戦争の「開戦の詔」(その時々の天皇の言葉、今日の感覚だと、当時の日本の最高の行政命令のような感じのものだったと思われます)を読むと、わりと文章は立派なのですが、簡単に要約すると、当時の日本政府は、日中戦争が泥沼化すると共に、国際的な孤立政策が災いして、軍事的、外交的、経済的にすっかり行き詰まってしまったので、当時の昭和天皇裕仁が一大決心を持って、アメリカやイギリスに宣戦布告するので、全国民一丸となって、この戦争遂行に協力してほしい、という旨が、はっきり書かれています。

 つまり、カタカナ混じりの漢文調の長い文章なのですが(現代語訳で読めば、十分だと思いますが、原文は句読点がないので、かなり読みづらいです)、要約すると、「朕(当時の昭和天皇裕仁のこと)が、アメリカとイギリスに宣戦布告するので、国民一丸となって、総力戦を行おう」、というような意味なので、基本的には、軍部が勝手な暴走をしたのではなく、当時の昭和天皇裕仁としては、かなり迷いに迷ったけれども、最終的には、裕仁自身の意思で、アメリカとイギリスを初めとする連合国との開戦をきっちり決めた、というように、はっきり書かれています。

※たとえ、太平洋戦争の「開戦の詔」の作成に当時の政治家や軍人や官僚や学者が関わっていたとしても、「詔」は、その時々の天皇の最高の行政命令に当たるので、当然、太平洋戦争の「開戦の詔」の原文には、当時の天皇・裕仁のサインと天皇家の印鑑が、しっかりついてあります。

 また、こうした文面から見る限り、当時の昭和天皇裕仁は、大日本帝国の政治上、軍事上の最高責任者であったので(文面から当時の裕仁は、政府や軍部をしっかり統制できていたことが、はっきり分かります)、戦後、一番に戦犯扱いになるのは当然だったのだが、戦後、様々な政治的な理由により、裕仁を初めとする皇族関係の政治的処罰は見送られた、というのが現実だったのではないか、ということです(参考)。

※よく歴史の話だと、「御前会議」(戦前、戦中、その時々の天皇が出席して、日本の国策を定めた最高会議のようなもの)で、当時の裕仁があまり発言しなかった話がよく出回っているのですが、みなさんもよくご存知のように、この根回しの国、日本で、当時の最高権力者が、事前に何も知らなかったなんて、全くありえないので(かなり事細かに相談や報告が行われていたのではないでしょうか)、この話は、戦後、かなり問題になった無責任な役人の官僚体質によく似ているように思われます。

※軍隊のことを、ある程度、知っている人はよく分かると思うのですが、人間の作る組織の中でも「軍隊」というのは、かなり命令系統が厳しい組織になるので(昔の日本軍は特に・・・)、戦後の日本と違って、当時の軍人は、そう簡単に上官の命令、特に上官の中でも、上官の上官の上官の上官・・・、つまり、特に宗教的権威と国家権力の両方を合わせ持つ、当時の最高権力者である天皇の指示や命令に逆らうことなんて、ほとんど、できなかったのではないでしょうか。

※昭和天皇裕仁による戦前、戦中の出来事に関する証言の記録があるようなのですが、他の人々と証言が一致しないことや、歴史的な事実との明らかなズレがあるようなので、これは単純に、当時の天皇・裕仁が、東京裁判対策として、戦犯として処罰されないように自己保身のために嘘の証言をかなり多く述べたものだと思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2014年7月26日 2:42 PM, 歴史 / 軍事



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