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株式会社も宗教団体も、民主主義社会の中の単なる市民集団である点では、本質的に全く同じであるのに、現在の宗教団体の運営は、あまりに排他的で閉鎖的な密室運営になりすぎているのではないか Part 1

2、株式会社であっても宗教団体であっても、個人的な利益や幸福を促進すると同時に、その社会における多くの人々の利益や幸福に貢献する市民集団であるという点では、本質的に全く同じ存在であるのに、現代の社会であると株式会社が、多くの人々に対して、非常にオープンでフレンドリーな運営方法になっているのに対して、多くの宗教団体は、いまだにかなり排他的で閉鎖的な密室運営になっているのは、実際、かなり問題なのではないか

 第二には、これは、たいへん言いづらいことなのですが、現在の地球の大部分の宗教というのは、現在の社会であれば、どの企業でも、まるで当たり前のように行う、ある行為を全く行わないという点において、霊的というよりも現実的に見た場合、かなり怪しいのではないか、ということです。

 それは、いったいどんな内容なのかというと、現在の世界の大部分の企業は、たいてい「株式会社」という形式になっているので、必ず一定期間ごとに、そうした株式会社の「株券」を持っている人々を大きな会議場などに集めて、その企業の営業利益や経営方針などに関する、かなり細かな説明を行うと共に、もし、そうした企業活動に何らかの疑問や心配がある場合には、株主であれば、そうした場で気軽に質問をすることができたり、また何らかの企業活動の是非や、役員の人選などに関しては、議決権を行使したりすることができるようになっているのですが、こうした株式会社と比べると現在の大部分の宗教というのは、表向きは、たくさんの市民のための公益団体のような形式になっているにも関わらず、そうした宗教の一定期間ごとの活動についての公の場での発表の機会もなければ、たとえ信者であっても質問の機会もなければ、議決権の行使の機会もないなどというように、はっきり言うと、ほぼ完全な密室運営になってしまっている点が、非常に問題なのではないか、ということなのです。

 つまり例えば、日本だと宗教というと、何となく秘密で、いかがわしい所というイメージか、あるいは、ものすごく権威があって、金回りが良くて立派な所というようなイメージが非常に強いのですが、ところが、そうした宗教そのものの、そもそもの目的やあり方そのものまで根本まで突き詰めて考え直してみると、今述べたような現代の普通の株式会社の運営と比べると、そうした宗教団体の運営というのは、運営のオープン性もなければ、そうした運営への普通の信者の参加権もなければ、発言権もないなどというように、よほどの企業秘密でもなければ、株主には原則、何でもオープンでフレンドリーな運営になっている現代の株式会社の運営とは、あまりに違いすぎるという点において、そうした宗教団体の運営というのは、現代のような民主主義社会では、もうすでにかなり時代遅れの運営方法になってしまっているのではないか、ということなのです。

 

株式会社であっても宗教団体であっても、民主主義国の中の一部の市民が、個人的な利益や幸福を得ると共に、多くの市民に対して、何らかの社会貢献を行う「市民集団」であるという点では、基本的に全く共通の性質を持っている

 そうすると、「いや、「株主」の経済的な利益を上げることが第一目的の株式会社と、信者の精神的な豊かさや安心立命を司ることが第一目的の宗教団体では、そのそもそもの目的が全く違うのではないか」というような疑問を持つ方がおられるのではないか、と思われるのですが、ところが、よくよく冷静に考え直してみると、確かに法律上は株主のものであるが、多くの人々の利益や幸福のために経済活動を行う株式会社と、法律上は信者のものであるが、多くの人々の利益や幸福のために宗教活動を行う宗教団体というのは、根本的なところでは、民主主義国の中の単なる「市民集団」であるという点では全く変わりない、ということになってくるのです。

 それでは、いったいどのような点で、そうした株式会社と宗教団体が、民主主義国の中の市民集団としての共通性を持っているのか、というと、次のような三つの点になります。

 まず第一には、株式会社は、株主に配当を配るために、より多くの利益を上げなくてはならない、というような利益至上主義のような一面があるのは確かに事実なのですが、ただ、よく考えてみると、民主主義国の中の一部の市民が、何らかの市民集団に対して、自分のお金を投資したり、自分の時間を使って、何らかの幸福や利益を得ようとしているという点においては、そうしたユーザーの立場としては、株式会社の株主も、宗教法人の信者の立場も、実は大して変わらないところがあります。

 第二には、これは、あまり考えたことがないと思うのですが、株式会社が、その社会の企業や人々に対して、何らかの商品やサービスを提供して、社会貢献することによって、利益を得ているのとほとんど同じように宗教団体というのは、その宗教団体の中の信者や、あるいは、その宗教以外の人々に対して教えを説いたり、広げたり、ボランティアしたりして、何らかの社会貢献をすることによって寄付金を得たり、収益を上げているので、これは経済的に見る限りは、両方とも多くの市民に対して、何らかの社会貢献をすることによって、経済的対価を得ているという点では全く変わりないということになります。

 それから第三には、株式会社は、主に物質的なものを扱い、宗教法人は、主に精神的なものを扱うというような点では大きな違いがあるのですが、基本的に両者とも民主主義社会における市民が集まって、民主主義社会の法律や道徳を尊重して、多くの市民の自由意志に基づいて共同運営されているという点において、社会的に見ると、両方とも民主主義社会の中の単なる市民集団に過ぎないということになってくるのです。

 このような三つの点から見る限り、実は、株式会社と宗教団体というのは、いっけん、かなり異なった存在のように見えるにも関わらず、その本質的な部分においては、実際、かなり似ている部分があるのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年7月10日 9:24 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 社会、文化 / 経済



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