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100点法によるテストの問題点について

 現在の日本だと、たいていテストでは、100点を最高点として、0点から100点までの間で、学生の教科書や授業の理解度や達成度を計る「100点法」によるテストが実施されていることが多いのですが、これは次のような三つの点において、本当は、かなり問題があるのではないか、ということなのです。

 まず第一には、これは当然のことですが、そうしたテストを受ける人の中には、たとえ年齢は低くても教師以上に賢い、そうしたテストの点数として、その人の優秀度を表すと、1000点や10000点の人もいるはずなので、そうした観点から見る限り、多くの人々が、何となく、単なる100点を最高の到達点のように誤解してしまいやすい、現在の100点を最高点とするテストの形式は、本当は、かなり問題があるのではないか、ということです。

 つまり多くの人々は、日常的に「すべて」とか、「全部」という意味で「100パーセント」という言葉をよく使っており、また「何もない」とか、「全くダメだ」という意味で「0(ゼロ)」という言葉をよく使っているので、子供の時期に100点法のテストで約十年もの間、いつもいつも採点され続けていると、多くの人々は、何となく0点が最低点で、100点が最高点であるような錯覚をしやすいという問題点があるのですが、実際の社会では、普通の人から見ると、何らかの面で1000点や10000点どころか、それ以上の点数の人もいれば、その反対に0点以下の−1000点や−10000点どころか、それ以下の人もいるので、こうした観点から見る限り、そうした100点法で、いつもいつも採点してゆくことは、現実の社会の実態には全く、そぐわないということです。

 第二には、これも問題が多いのですが、多くの人々が、子供の時期に十年以上に渡って、こうした100点法によるテストを何百回、何千回と受けてゆくうちに、「今回も100点ではなく、75点だった」とか、「今回も100点とは、ほど遠い55点の出来だった」というような形で自然自然のうちに、「自分は、出来の悪い不完全な存在なんだ」とか、「自分は、何度やっても完全には出来ない、いまいちの能力の持ち主なんだな」というような形で、自分のことを何となく、いつもけなしたくなったり、自分自身への評価をいつも低く考えるようになって、何となく自信がなくなってゆくようなところがあるので、これも非常に問題なのではないか、ということです。

 第三には、これも非常に問題が多いのですが、いつもいつも100点法のテストで採点されていると、いつの間にか自分は、何をやっても、そうした誰かが用意した0点と100点の間のどこかに入るのが、全く当然のことであるかのような錯覚を強いられてゆくようなところがあるということです。

 つまり、こうした先入観を強く持つようになると、例えば、会社であれば、「自分は○○さんという最高の成績の人と、△△さんという最低の成績の人の間のどこかに必ず、しっかりとはまっていなくてはいけないんだ」とか、あるいは、家庭の中であれば、「自分は親戚や近所の人達と比べて、あの一番優秀で幸せそうに見える○○さんと、あの一番どうしようもなく不幸そうに見える△△さんの間ぐらいの感じの、どこにでもある平均的な家庭のあり方にしないといけないんだ」などというような形で、本当に自分自身が求める生き方や幸福のあり方というものを一切無視して、何となく自分の周りの人達に合わせてさえいれば、それが一番いいんだ、というような感覚を持ってしまいがちなところが、本当は非常に問題があるということなのです。

 こうした観点から考えてみる限り、自分が、本当に心からの幸せや充実感を感じられるような生き方をしてゆくためには、本当は、あまり周りの人達に合わせすぎるのではなくて、本当の自分自身の感じ方や考え方というものに、もっともっと正直になってゆかなくてはならないのですが、ところが現在の学校運営や、100点法によるテストの積み重ねというのは、そうした自分自身の正直な感じ方や考え方を、いつの間にか無意識のうちに自分自身の意思で強く押さえつけていってしまうようなところがあったのです。

 ですから私は、もし学校の教育課程において、学生の教科書や授業の理解度や達成度のチェックのために、テストのようなものを使うのであれば、もう単純に、みんな一律に何度でも気軽にテストにトライできるようにしておいて、7割程度の合格点をクリアーしたら、誰でも、どんどん先に進めるようにするとか、あるいは、そうしたテストの最高点自体が一体、何点だか、よく分からないような形式にして、せいぜい20点とか、30点前後を最高点とする理解度や達成度のチェックのための小テストのようなものを、こまめに実施してゆけば、それで十分なのではないか、というように考えております。

 

 追伸

 要するに一人一人の人間に対して、たとえ相手が、まだ学校に通っているような弱い立場だからといって、一方的にさぞ、それがその人自身に対する絶対的な能力の判定であるかのように誤解するような何百、何千というようなテストの実施なんて、不幸や自己限定や劣等感の押し売り以外の何者でもないので、そろそろ、もう少し良い方法に変えたらどうか、ということです。

 

Cecye(セスィエ)

2011年7月9日 9:12 PM, コラム / 教育 / 社会、文化



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