「幸福主義」に基づき、自分自身のあり方や社会のあり方を見直し、最大幸福社会の実現を目指す
それでは、こうした観点から見て、私達は、いったいどのような幸福についての見方をすればよいのかというと、だいたい以下のような四つのことが言えます。
1、自分自身が、本当に幸福であるかということは、他の人々の評価や判断によらず、また流行や人気にもよらず、自分自身の素直な正直な感覚自体で、しっかり判断する必要がある
まず第一には、これは現代の多くの人々が、非常に間違った理解や認識をしている最たるものの一つであるのですが、とにもかくにも自分自身の幸福は、身の回りの誰かの評価や判断であるとか、あるいは、多くの人々の流行や人気とはいっさい関係なく、「今自分が、本当に心から楽しく幸福であると感じているかどうか」ということ、つまり、自分自身の素直な正直な感覚そのものを基準にしなくてはいけないということです。
ですから、これは実際に世の中では、よくある光景だと思うのですが、はた目には、ものすごく難しく大変そうな顔をしているにも関わらず、「このゲームは、ものすごく面白い」とか、「これは、ものすごくやりがいがある」などと満足げに話すような人々であるとか、別に自分自身が、本当に気に入っているわけでもないにも関わらず、「この最新の流行やファッションを身につけると、ものすごく満足感がある」とか、「他の人から見られるだけで、ものすごくエクスタシーを感じる」などというような人々が、世の中にはたくさんいるのですが、それは残念ながら、本当の自分自身の感じている幸福の感覚と、他の人々の評価や判断や、あるいは、人気や流行によって、あたかも本当の幸福と錯覚しているものとの違いが、本当はよくわからなくなっているのではないか、ということなのです。
2、他の人々と一緒に過ごして、本当に幸福感を享受できるような機会は、なるべく増やすと共に、他の人々と一緒にいても不幸な感覚しか持てないような機会は、なるべく減らした方がよい
第二には、これは東洋の人々に非常によくある問題なのですが、多くの人々と一緒にいる時の幸福感と、その反対に多くの人々と一緒にいる時の不幸な感覚の違いというのが、あまり自分の頭で、よく整理されていないような人達が非常に多いということなのです。
つまり、人間生活においては、自分の身近な人々や、気が合う人々と一緒の時間を過ごすことは、とても楽しく幸せに感じられる時もあるのですが、その反対に、そのような形で他の人々と一緒にいると、本当はあまり幸福でないと感じていることも、実際には多々あるにも関わらず、これも数十年にわたる子供の頃の学校教育の成果であるとしか全く言いようがないのですが、特に東洋の人々は、そうした自分自身の正直な感覚というものをいっさい無視して、「とにかく他の人々と一緒にいること自体が、安心で幸福なことなのだ」というような誤った幸福の理解というか、もっと正確に言うと、幸福感の錯覚をしていることが非常に多いということなのです。
ですから私は、できれば、こうした幸福感の錯覚というのは、自分自身の正直な感覚に基づいて、しっかり整理して、自分の身近な人々や、気が合う人々と一緒に過ごして、とても楽しく幸せであると感じられるような機会は、なるべく増やすと共に、本当は自分自身の正直な感覚としては、あまり幸福であると感じられないような他の人々と触れ合う機会は、できるだけ少なくしてゆくような知恵というか、冷静な判断が重要なのではないか、というように率直に感じております。
Cecye(セスィエ)
2011年3月29日 9:24 PM, Q&A / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観