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現代文明は、さまざまな自然界の資源やエネルギーのリスクとメリットを、いろいろな知恵や技術によって、うまくコントロールすることによって成り立っている

 前回に引き続き、テレビを初めとする、いろいろなメディアの情報を得る時の注意点について述べてみたいと思います(文章が長くなったので、前とタイトルは別にすることにします)。

 

現代文明は、さまざまな自然界の資源やエネルギーのリスクとメリットを、いろいろな知恵や技術によって、うまくコントロールすることによって成り立っている

 これはメディアの情報だけだと、はっきり言って、ちょっとよくわかりづらい内容になってくると思うのですが、例えば、最近だと原発が爆発して、大変な騒ぎになっているわけですが、こうした大変な時こそ、ある程度冷静になって、いろいろ知識や情報を集める必要があるということです。

 

ある程度のリスク(デメリット)と安全性(メリット)のコントロールは、文明社会の鉄則である

 最近だと原発の爆発と、それによる汚染が非常に大変な話題になっているのですが、特に日本人は学校教育において、ほとんど、まともなリスク管理の常識のようなことを習ったことがないので、こうした事態になると、すぐに上も下もの大騒ぎになることが多いのですが、実は、私達の文明社会においては、よくよく考えてみれば、先の原発に限らず、電気もガスも、軍事も経済も、さらには身近な日常生活の道具も含めて、ほとんどすべて、こうした原発とよく似た危険性、リスク(デメリット)を抱えているということと、もう一つは、それゆえ、それらは常にそうしたリスク(デメリット)と安全性(メリット)の上手なコントロールが行われているということを、よくよく知る必要があるということです。

 

1、「絶対に安全で大丈夫なものがある」というのは、単なる幻想であり、実際には文明の道具と言わず、自然界の存在やエネルギーと言わず、誤った使い方をした場合、危険でないものはほとんどない

 まず第一には、この物質世界において、誤った使い方をした場合、人体やその社会に危険でないようなものは、実際には、ほとんどないということです。

 これは電気やガスと言わず、学問や技術と言わず、日常生活の道具と言わず、本当にほとんどすべてのことにおいて、そのように言うことができるということです。

 ですから例えば、私達の身近な日常生活の道具についても、よく見直してみると、たいていの物には、「絶対に飲み込まないでください」とか、「誤って目に入れた場合には・・・」とか、「注意」や「危険」とか、必ず何かしらの注意事項が書いてあることが多いし、また、そうでない場合には、たいていの人は、小さい頃からの教育や経験によって、ほとんど無意識のうちに「これは、こうしないように気をつけて使う」とか、「こうすると痛い目に遭うから、絶対に気をつける」とか、「これだけは絶対にやってはいけない」などというように結構気をつけて、注意しながら生活しているというのが、私達の日常生活の実態であるということなのです。

 

2、人類は、長い年月をかけて、自然界のさまざま事物やエネルギーの有害性や危険性を減らして、そして、より有用で快適な利用ができないか、ということに知恵を巡らしてきた結果、今日の繁栄を実現できるようになった

 第二には、だからこそ人類は、長い年月をかけて、そうした場合によっては、さまざまな有害性や危険性を伴うものを、いろいろな知恵と技術によって、あまり有害性や危険性を伴わないような形で有効活用し、人類の生活をより良く便利に快適にするために、ずっと努力し続けてきたということです。

 ですから、これはよくよく考えてみると、私達の身の回りを取り囲むほとんどすべての物事についても同じように言えるのですが、たいていの物やエネルギーというのは、人類の知恵と技術によって、いかにして、その有害性や危険性を封じ込めながら、その有用性や利点を最大活用するか、というような、言ってみれば、リスク(デメリット)と安全性(メリット)のバランス上のコントロール、もしくは単なるリスクのコントロールによって、その時点において、うまく活用しているだけであるということなのです。

 

3、何も調べずに単に怖がるような態度をとったりせずに、常に冷静によく調べ、よく考えてから行動するようにしなくてはならない

 第三には、だから何事に対しても、「それは、いったいどのような状況において、どのような使われ方をすると危険なのか」とか、「いったいどの程度の量、どのような形で接すると危険なのか」とか、あるいは「もしそうした危険に直面した場合には、いったいどのような応急処置や対処が必要なのか」とか、「もし何らかの危険な事態に陥った場合には、自分として、できる最善の行動とは、いったい何なのか」とか、さらには「今後、同じような危険な状況に陥らないためには、いったいどのような改善が必要なのか」などということを、いろいろな知識や情報を集めながら、よくよく冷静に考え直しておくことが非常に大切になってくるということです。

 例えば、私達に身近なエネルギーとしては、「電気」というものがあるのですが、普段はあまり考えたことがないと思うのですが、実は、今から百年ぐらい前に電気が実用化された頃には、今日の原子力とほとんど同じように「電気と雷(かみなり)は一緒だろう。雷で明かりをとるなんて、怖くて仕方がないから嫌だ!」とか、「よく分からないが何となく怖いので、こんな危険なもの、隅々の家まで張り巡らすなんて、とんでもない話だ!」とばかりに恐れるような人達も、結構たくさんいたはずであるということなのです。

 ですから実は、電気にしても、ちょっと間違えれば、漏電(ろうでん)に感電、それから、それに伴うやけどや火事などというように、よく考えてみると結構、危険な技術にも見えるのですが、しかし、そうしたリスクに対して、現代の技術だとアースやブレーカー、それから火災報知器などといった具合に、さまざまな安全対策を巡らすことによって、そうした危険を押さえ込み、その上で非常に便利で快適な生活(一時的にでも止まると、本当によく実感されますね)をもたらすエネルギーとして活用できるようになったというわけなのです。

 ですから先ほど述べたように、これは電気やガス、それから学問や技術といったように、どんなことにおいても、ほとんど同じであると言ってもよいような内容になるのですが、現在の人類の文明というのは、多くの人々の知恵と努力によって、自然界のさまざまな事物やエネルギーの性質というものを研究、応用して、そして、その有害性や危険性をいかに封じ込め、その反対にその有用性や利益を、いかにして最大限に引き出すか、ということによって成り立っているということなのです。

 つまり、もっとはっきり言うと、常にどんなものであっても、「絶対に安全で大丈夫である」などというようなものは、原則、一つもなく、そうではなく、常にさまざまな人々の知恵と努力によって、そうしたリスク管理をしながら有効活用しているのであるということを、よくよく冷静に理解しておく必要があるということなのです。

 

Cecye(セスィエ)

2011年3月18日 8:24 PM, 科学、テクノロジー / 自然、生命



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