Light Symbol

知ることと人間性の関係について Part 61

 三つめは、これは少し変わった話になるかもしれないのですが、一般には人間が知性を高めてゆくことは、非常に良いことであるとされていることが多いのですが、ところが人間が知性を高めてゆくと、どうしても実際に手足を動かしたり、体を動かしたりして、アクティブに動き回ることよりも、いろいろなことを本やネットなどで調べたり、考えたりして、頭の中で、いろいろと考えている時間が長くなってゆくことが多いので、その結果、多少無感動、というか、多少無感覚な感じで生活する時間が長くなってゆきがちなところがあるようなのです。

 そうすると、残念ながら人によっては、普通の人よりも知性が高くて、成功や富を手に入れているにも関わらず、まあ、それほど大きな苦痛や不幸な状態にはなっていないかもしれないのですが、多少無感動で無感覚な精神状態となって、あまり大きな満足感や幸福感を感じないようなタイプの人間になってしまうこともあるようです。

 現代の社会では、こうした人の置かれた状況を客観的に見た場合、社会的には、わりと優秀で、かつ肉体的にも精神的にも、わりと良い状態であるというような認定を受けることが多いと思うのですが、ただ私達人間の社会には、そうした形で、それほど知性的な高さはないし、また社会的にも、それほど大きく成功しているわけでも、お金持ちになっているわけでもないにも関わらず、肉体的、精神的な状態としては、かなり高い満足感や幸福感を持って生きているような人々も結構いるものなのです。

 そうすると、こうした社会の状況から知性の高さと人間的な幸福の間には、いったいどのようなことが言えるのか、というと、確かに人間社会では、知性を上げると社会的には、わりと成功や富を得やすくなるし、また肉体的、精神的にも、わりと良い状態を維持しやすいし、それから、おそらく大変不幸な状況には、かなりなりづらいのではないか、というように思われるのですが、ただ人間として、もっと大きな満足感や幸福感を得たいと思うのであれば、単に知性を高めるだけではなく、もっと自分自身の満足感や幸福感を高めるような何らかの霊的な学びや思想的なバックボーンを持つようにするか、あるいは、いろいろな学びや趣味やボランティアの習慣を持つような、もう一つ別の努力や工夫をすることが、非常に大事になってくるのではないか、というように思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年3月3日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 成功論、繁栄論 / 教育 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 科学、テクノロジー / 自然、生命



«

»

おすすめ記事

過去の記事