Light Symbol

知ることと人間性の関係について Part 27

3、一般には、人間性の素晴らしさはよいものとされているのだが、法律や社会的倫理やルールの範囲内であれば、特にスポーツやゲームやビジネスなどの一部の状況では、逆に人間性のなさがよしとされていることもある

 三つめは、今度は、少し変わった内容について述べたいと思うのですが、先ほどから述べているように、一般には、人間性は高ければ、高いほど良いとされているものなのですが、ところが、スポーツやゲームやビジネスなどの一部の現場では、これは、もちろん法律や社会的な倫理やルールの範囲内での話になるのですが、相手を喜ばせて、利益を与えるようなことではなく、相手が嫌がったり、困ったり、間違えたり、疲れさせたりするようなことがよしとされているようなところもあるということです。

 まずは、スポーツやゲームの状況を考えてみたいと思うのですが、要するに一定のルールの下で争う、そうしたスポーツやゲームをプレイしている間に関しては(たいてい、普通の人間関係の場面では、非常に良い性格の人も多いとは思うのですが・・・)、「お互いにベストを尽くす」と言えば、非常に聞こえはいいのですが、お互いにできるだけ自分の長所を生かして、相手の弱点を突いたり、また逆に相手の長所は、なるべく活かせないようにして、自分の弱点を突かれないように守ったり、さらには、お互いになるべく自分の意図がわからないように隠したり、また相手の意図は、なるべく正確に見抜いて、自分に有利な状況に持ち込もうとしたりするようなことが非常に多いものなのです。

 ですから、まあ、はっきり言い切ってしまうと、そうしたスポーツやゲームの間は、もちろん公正なスポーツマンシップは、非常に大切だとは思うのですが、それがプロフェッショナルのような高いレベルの領域になればなるほど、ものすごく強かったり、ものすごくきつかったり、とてつもなく早かったり、ものすごくひどかったり、ものすごく騙し合ったりするような、ちょっと人でなし的な要素が強くなってくるようなところがあるのです。

 ただし、みなさんもよくご存知のように、そうしたスポーツやゲームの世界は、お互いにルールを守った上で、いろいろなことを学んだり、いろいろな技を身につけたりしながら、たくさんの人々と対戦して、勝ったり負けたりする中で、自分自身の知恵や技術や体力や精神力を高めたり、また、自分自身の満足や喜びや成長ためだけではなく、大勢の人々と一緒にもっと大きな喜びや楽しみや感動や興奮や一体感を味わおうとするような世界なので、そうしたスポーツやゲームの現場を一歩離れた際には、単なる強さや技術だけではなく、そうした強さや技術にふさわしいだけの高い人間性があってこそ、そうしたスポーツやゲームの人気や楽しさや健全性が維持されてゆくようなところがあるので、やはり基本的な人間性の高さというのは、とても大事になってくるのではないか、というように思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2019年6月21日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 成功論、繁栄論 / 教育 / 知恵、正しさ / 社会、文化



«

»

おすすめ記事

過去の記事