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知ることと人間の欲求の関係について Part 8

7、人間には、衣食住に関わるような生理的な欲求以外に、知的な刺激に関わるような知的欲求があるのだが、どちらを極めていっても、最終的には、同じような結論に到達するのかもしれない

 七つめは、今度は少し違った話になるのですが、特に人間のような知的な生物の場合、衣食住に関わるような本能的な欲求が一通り満たされるようになると、それ以降は、ほぼひたすら、何らかの知的刺激のようなものを受けるだけで、そうした本能的な欲求の充足と、ほぼ同じくらいの満足感が得られるようなところがあるのですが、こうした人間の欲求の充足のあり方には、次のような二つのことが言えます。

 一つめは、これは現在も、あちこちで大きな問題を巻き起こしているような話になるのですが、人間というのは、ある一定の知的なレベルに達すると、それまでのような動物的な欲求、例えば、「何か食べたい」とか、「寝たい」とか、「セックスしたい」というような動物的な欲求とはかなり違った欲求、つまり「誰かと話したい」とか、「何かで遊びたい」とか、「本を読みたい」とか、「テレビが観たい」とか、「何かを研究して、もっと凄い何かが知りたい」とか、「この世界を創った神のことを知って、崇拝してみたい」とか、「スポーツやゲームなどで、もっと難しい技をマスターして、多くの人々に披露してみたい」などというような自然界の生物であれば、まずは普通、あまり持たなさそうな欲求を、どんどん強く持つようになってゆくようなところがあります。

 ところが、そうすると、この段階で、人間の生物としての欲求の充足と、それから、そうした知的生物としての欲求の充足がうまく噛み合わなくなってきて、あちこちで多少ギクシャクした問題が持ち上がってくることがあります。

 もう少し具体的に言うと、こんな感じになるのですが、例えば、「あの人は、宗教やボランティア活動ばかりにのめり込んで、普通の生活をちゃんとやっていない」とか、「読書や研究はいいけど、ちゃんと食べたり寝たりしないと、体がもたないでしょう」とか、「みんなが遊び回るようになったら、いったい誰が働いて、この社会を維持してゆくの?」とか、「スポーツやゲームはいいけど、ちゃんと稼がないとダメだよ」などというような、今日も社会のあちこちで、時折聞くような問題が生じてくることがあるのです。

 古今東西、こうした問題は、あちこちで起きてきたようなところがあるのですが、ただ結局のところ、その国や社会の一員として、「これだけは最低限、きっちりやっていないといけない」というような部分をきっちり押さえていた場合には、その時点では、いろいろな揉め事で多少ごちゃごちゃしたとしても、何とかうまく行くことが多かったようなのですが、残念ながら、そうした点を、あちこち手抜きしてしまった場合には、様々な問題が次々と持ち上がるような形で、大きく失敗してしまうことが多かったように思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2017年2月6日 9:03 PM, 知恵、正しさ



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