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人間の完全性について Part 7

④実際の作品や仕事のレベルと、他の人々からの評価や感想とのギャップについて

 四つめは、これは、かなり難しい話になるのですが、人間が、何らかの芸や技能のようなものをどんどん究めてゆくと、ある段階から、その人個人としては全く思いもしないような他の人々の反応、というか、評価に遭遇するようになって、場合によっては、かなり辟易するような事態になってゆくことがあるのです。

 それには、幾つかのケースがあるのですが、一つめは、他の人々が、自分を完全に天才呼ばわり、大スター呼ばわりして、まるで別人というか、ちょっと普通の人間ではないような特別扱いをし始めてくることがあるのですが、世の中には、こうした状況を素直に喜べる人と、そうでない人がいるので、後者のタイプの人は、こうした状況では、ちょっと対人関係で苦慮するような場面が増えてくる傾向があります。

 二つめは、これは自分が考える以上に、周りの人々の信頼や応援が舞い上がるように盛り上がっている状況のことなのですが、これは、みなさんもよくご存知のように世の中には、あまりよく知りもしないのに多くの人々が大騒ぎしていると、一緒に大騒ぎすることに悦びを感じる人も多いのですが、この場合には、その後の状況によっては、本人からすると、「ちょっとその対応の違いはないだろう」と言わんばかりに突然、冷淡になったり、訳の分からない批判や非難をしてくることがあるので、本当は当人としては、ちょっとありがた迷惑のところがあるように思われます。

※私は普通、本当の家族や友人のような人間関係であるならば、結果が良かったなら、「おめでとう」と素直に一緒に喜んで誉め称え、また、そうでない場合にも、「あなたはベストを尽くして、よく頑張った。素晴らしかったよ」と心からねぎらってあげるのが、当然なのではないかと思います。

 三つめは、これは、あまり知らないかもしれないのですが、人間というのは、結構思い込みの激しいところがあるので、よく冷静に調べてみれば、それほど凄いわけでもないものを、それ以前の先入観から、ものすごく凄いと思い込んだり、また、本当はものすごく素晴らしいものであるにも関わらず、以前の経験であまり良い印象がないばかりに、その素晴らしさがよく分からないようなことも、意外と多いものなのです。

 ですから、そうした観点から見ると、実は、その人本人からすると、「いや、今回は、前ほどの出来とは思えないんだけど・・・」というような状況でも、意外と好評価が得られるような状況になったり、また、「これは、どう見ても最高の作品なのではないか」というようなものが、世間であまりよく知られていないばかりに、すっかり埋もれてしまうような状況というのも意外と多いものなのです。

 ですから、こうした場合には、あまり短いスパンで結果を考えずに最低でも数年とか、また場合によっては、数十年というような長いスパンで(場合によっては、さらにもっと長い期間で・・・)、そうした物事の結果を判断していった方が、私は、多くの人々の言動に惑わされずに、わりと冷静に落ち着いた活動ができるのではないか、というように感じております。

 四つめは、これは、あまり言われないと思うのですが、世の中では、あまり良くない作品や仕事が評価されないのはある程度、仕方がないにしても、それと同じように、あまりにも素晴らしい作品や仕事というのも、そう簡単には、高い評価が得られないようなところがあるようなのです。

 これは歴史上、有名な芸術家の人生の足跡をたどると、ほとんど一目瞭然なのですが、要するに特にアートの世界では、明らかに平均以下と思われる作品が、あまり受け入れられないのとほぼ同じような理由で、あまりにも、その時代を超越した優れた作品というものも、なかなか受け入れてもらえないことが多いようなところがあるのです。

 これは残念ながら、その作品の超越性、というか、先見性や素晴らしさのレベルにそのまま比例するようなところがあるので、はっきり言うと、その作品が素晴らしければ素晴らしいほど、また未来を先取りするような要素が高ければ高いほど、その時代の人々には、なかなか理解されないことも多いので、もし自分の作品に、それだけの自信が感じられるのであれば、あえて、そうした道を追求するのも一つの道であると言えるようなところもあります。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2014年4月7日 9:07 PM, 成功論、繁栄論 / 知恵、正しさ / 芸術、美



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