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宗教も国家も社会も会社も団体も、はたまた身近な家族や友人関係も、結局、単なる人間集団に過ぎない Part 1

 現在、私達の社会を構成している宗教も国家も社会も、それから私達の生活に身近な会社も団体も、家族も親族も、あるいは友達関係も、千字突き詰めると、それらは結局、単なる人間集団に過ぎないということになってくるのですが、こうした人間集団の性質についての理解が、現代の人々は、まだ、やや希薄な印象を受けるので、今回からこうした人間集団の性質について、五つの観点から述べてゆきたいと思います。

 

1、どんな人間集団も、その原点には、何らかの共通の目標、もしくは共通の課題というものがある

 まず第一には、これはある意味で当然のことであるのですが、そうした人間集団が形成される場合には、必ずその原点には、そうした多くの人々が共通して、一緒に取り組まなくてはならないような何らかの共通の目標や、あるいは、何らかの共通の課題のようなものがあったはずであるということです。

 

2、どんな人間集団であっても、その集団に属する人々の共通の利益、もしくは共通の不利益というものが共有できない場合には、だんだん疎遠になって解散することになってしまう

 第二には、これもある意味で全く当然のことであるのですが、そうした共通の目標、もしくは共通の課題を元にして、何らかの人間集団が形成されたとしても、そうした人間集団が何らかの形でもって、お互いに共通の利益、もしくは共通の不利益のようなものが共有できない場合には、どんな人間集団であっても、ある程度の時間が経つと、だんだんその親密度というか、結束力のようなものが維持できなくなって、そのうちバラバラになって解散してしまうようなことになってゆくということです。

 ですから、そうした意味で、そこに何らかの人間集団がある場合には、原則、それに属する人々には、何らかの共通の利益、もしくは共通の不利益のようなものが必ずあるということです。

 

3、すべての人間集団には、法律のように文章の形になっているかどうかはともかくとして、必ず何らかの決まりや掟のようなものがあるが、大きな組織ではたくさんの人々の利害が交錯して、そうしたルールの変更がうまく行かずに、結果として、多くの人々が不利益を被ることが非常に多い

 第三には、これも全く当然のことであるのですが、そこに何らかの人間集団がある場合には、それが法律や社則のように文章の形になっているか、それとも単なる暗黙のルールや口約束のようなものになっているかどうかはともかくとして、たいてい必ず何らかの決まり、もしくは掟のようなものが決められることになるということです。

 この場合の決まり、もしくは掟のようなものとは、いったい何であるのかというと、多くの人々がある程度まとまって、何らかの行動をする場合には、たいてい、「みんなが、こういうことをしてくれると、みんな助かるし、いちいち喧嘩や口争いをしなくて済むから楽だ」とか、「誰か一人でも、こんなことをされるとすごく迷惑だし、それをいちいち咎(とが)めるのはものすごく面倒だから、とにかく、そうしたことはできるだけしないか、もしくは、それができないなら、自分達の仲間から出て行ってほしい」などというような決まりや掟のようなものが、必ず出来てくることになるということなのです。

 ただ、ここで問題なのは、こうした決まりや掟というのは、常にその時点での、その人間集団独自のルールに過ぎないということになってくるので、それゆえ、そうした決まりや掟のようなものというのは、別の人間集団に属する場合には全く通用しないことが多いし、また、その人間集団の状況が変わってしまった場合には、これも全く別の決まりや掟のようなものに、わりと簡単に変更されてしまうことが非常に多いということなのですが、ところが、これがそうした人間集団の規模が大きくなって、国家や大企業のような大規模なものになってくると、いろいろな人々の利害関係が交錯して、そうした決まりや掟に当たる法律や行政上のルールや会社の方針のようなものが、なかなか変更できないことになって、その結果、後々、非常に多くの人々が大変な不利益を被ることになりがちであったということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年4月2日 9:18 PM, おすすめ記事 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 社会、文化



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