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昔の日本の神話について Part 12

③現在の先祖供養の宗教儀式では、亡くなった人々の、現在の状況や、現在の信仰や考え方や、現在の意思を、ほぼ完全に無視した上で、一方的に執り行ない続けるようなところがあるのだが、これは、現代的な視点で見た場合には、亡くなった人々に対する自由性の侵害と、地上の人々の一方的な自己満足のための要素が、かなり大きいのではないか

 第三には、これは、霊的には、非常に問題が多いことなのですが、よく考えてみると、先祖供養というのは、「いったい、どこの誰に、何をしているのか?」、ということすら、全くよく分からないような状況において、勝手に、他の人々の名前を呼んで、勝手に、自分達としても、目的も効果も、全くよく分からないような宗教儀式をやって、その上、勝手に、よく考えてみると、「一体、何に満足したのか」、ということすら、全くよく分からないような自己満足をしているのと、霊的には、何ら変わりないのではないか、ということです。

 つまり、霊的な話を、いっさい除いて、単純に、この世的な視点のみで見た場合には、たとえ、もうすでに死んだ人々であったとしても、「その人達は、今、いったい、どのような状況に置かれていて、いったい、どのような精神状態で、いったい、どのような信仰や考え方を持っているのか」(当然のことですが、死んだ後まで、生前と、ずっと同じ信仰や考え方とは限らないので・・・)、ということすら、全くよく分からないような状況において、そうした人々に、「祭」や「供養」と称して、さまざまな宗教儀式を行うのは、よく考えてみると、そうした人々に対する、「思想・信条の自由」や「行動の自由」の侵害以外の何物でもないのではないか、ということなのです。

 つまり、真実の霊的な立場としては、たとえ、死んだ人であっても、まずは、相手の状況や考え方をよくよく知った上で、その上で、その人の希望や要望に、一番、合った形の、何らかの霊的サービスを行うことが、とても重要になるはずなのですが、ところが、こうした先祖供養型の宗教には、そうした亡くなった人々に対する、霊的なリサーチも、また、霊的なサービス精神も、ほとんど皆無なのではないか、ということなのです。

 つまり、もっとはっきり言うと、ほぼすべての先祖供養に該当する宗教儀式というのは、今日的な視点で見ると、相手の状況や意向というものを、ほぼ完全に無視した形で、一方的に執り行なわれる、地上の人々の、地上の人々による、地上の人々のための、一種の自己満足のための宗教儀式になっているのではないか、という点が、霊的に見た場合、非常に問題なのではないか、ということです。

 

 続く・・・

 

 

 追伸

 ちょっと話は変わりますが、日本には、昔の神話にちなんだ、同じような名前のセットの地名が、全国あちこちにあるようなケースがあるのですが(例、高千穂、天岩戸等・・・。外国にも似たようなケースがあるかもしれませんが)、私は、こうしたケースの場合、そうした神話や、神話にちなんだ地名自体が、歴史のどこかの段階で、その時代の為政者の都合で、ねつ造されたのではないか、というように疑うのが、賢明なのではないか、というように考えております。

 日本の場合、学校教育の感覚と同じで、昔からの言い伝えや、ちょっとした、それにちなんだ遺跡のようなものがあると、すぐに、あたかも、その地方では、昔に、そうした神話にちなんだ歴史的な事実があったかのように考えることが多いようなのですが、ただ、これは、外国の方には、すぐに受け入れられるような物の見方だと思うのですが、外国のよくある歴史だと、昔から住んでいる人々の所に、突然、どこかから侵略者のような人々がやってきた場合、女性や子供のような奴隷に出来そうな人々を除いて、そこの住民をほとんど皆殺しにしてしまって、その土地に、ずっと永住することを決め込んだり、あるいは、そこの奴隷のような人々を永続的に支配しやすいように、あたかも、「その土地の新たな支配者は、ずっと昔から、代々に渡って、その土地の正当な支配者だったのだ」、というような、昔話や言い伝えのようなものを、ちょっとした神官のような人々を派遣して、何世代、何世代にも渡って、さまざまな行事や利益誘導を行いながら、何度も何度も言い聞かせ続けて(さも、それらしい歴史の記録を残すことも多かったようですが・・・)、だんだん既成事実化してゆくようなケースが、非常に多かったのです(たいてい、何百年も経つと、そうした地方の人々は、もう遥かずっと昔から、そうだったような気分になってくるようです)。

 ですから、こうした観点から考えてみる限り、たとえ、昔から先祖代々、伝わってきているような神話のような内容であったとしても、実は、歴史のどこかの段階で、その時代の支配者の都合でねつ造されたものだった可能性もある、というような視点は、しっかり持っておく必要があるのではないか、というように、私は、率直に考えております。

 

Cecye(セスィエ)

2012年4月12日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宇宙文明、古代文明 / 神道



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