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ここ数十年の間に世界の国々では、ネガティブな理由に基づく経済発展の時代から、ポジティブな理由に基づく経済発展の時代に大きく移り変わっていった

一昔前の国家の近代化や経済発展の理由は、「軍事的な不安感の一掃」といった非常にネガティブな理由であることが多かったのだが、特にここ数十年の間に多くの国々の間では、「より豊かで便利な幸福な社会を築きたい」というような非常にポジティブな理由による国家の近代化や経済発展が起きるようになっていった

 これもまだ現代だと、あまり言われていないような話になるのですが、特にここ数十年の間の地球の社会というのは、経済的に見ると、軍事的な不安感に基づく非常にネガティブな理由による国家の近代化や経済発展の時代から、「より豊かで便利で幸福な社会を築きたい」というような、よりポジティブな理由に基づく国家の近代化や経済発展の時代に大きく移り変わりつつあるのではないか、ということです。

 これは少し考えてみないと分かりづらいのですが、実は、現代の日本を初めとする東洋の国々(どこも戦後、急激な経済成長を遂げた国々ばかりです)が、どうしても近代化して、経済発展しなくてはならなくなった、その根本の理由というものを突き詰めてゆくと、ほんの百年ぐらい前の地球で主流だった価値観、つまり「軍事力の強い国は、軍事力の弱い国を自由に侵略して、いくら土地を奪っても良いし、また、そこの住民をいくら奴隷のように扱っても構わない」というような価値観の当時の欧米の国々に対抗して、何とか少しでも軍事力を強めて、自国の独立を守りきるためには、国家の制度の近代化と国民の教育と、それから産業の育成をしっかりと行わなくてはならない・・・、などという具合に、はっきり言うと、そうした国々の経済発展の理由の根本的な理由を考えてゆくと、何のことはない、「ある程度余裕を持って、自分の国を守れるぐらいの強力な軍事力を持てるようになりたい」ということに尽きているようなところがあったのです。

 ただ現実には、これはものすごく難しくて、なにぶん百年ぐらい前の時代は現代とは全く違っていて、侵略や植民地化は当然だし、国連もなければ、全世界的な人権思想の潮流のようなものも全く皆無であったので、それゆえ、そうした時代には、自分の国を守りきる実力のない人々の住んでいる国々や地域は容赦なく、より軍事的に強い国に侵略されたり、植民地にされていたのですが、それが第二次大戦後の国連の発足を初めとする、その後の国際情勢の変化によって、特にここ数十年前ぐらいから、たとえ、それほど軍事的に強い国でなくとも、有力な国と軍事的な同盟関係を結んだり、半保護国のような外交関係を築きさえすれば、それほど自分の国の国防上の脅威というのは、あまり強く感じずに済むような時代に大きく移り変わるようになってきたのです。

 そうすると、たとえ、いろいろな表向きの口実はあったとしても、本当はその国の人々が、何とか一つにまとまって、一生懸命働いている、そのそもそもの理由が、「国防上の不安だった」というような国に関しては、特にここ数十年ぐらいの間に、そうした国々の社会情勢というのは大きく変化してゆき、「多くの人々が、一つの政府の下に一致団結しなくてはならないないような国防上の大問題がないなら、それぞれの小民族で、自分達の好き勝手にやらせてくれないか」とか、「自分達は、もともと別にそれほど生活に困窮するほど貧しいわけでもないので、そんな無理な近代化や経済発展は止めて、昔通りの質素な生活を続ける方が、ずっといいのではないか」などという具合に、いろいろな意見の対立が出てきて、だんだん一つの国としての足並みが全然揃わなくなってくるような国が、世界中にたくさん出てくるようになってきてしまったのです。

 その結果、ここ数十年の間、この世界では、いったい何が起きてきたのか、というと、そうした全世界的な軍事的脅威が激減する中で、国防上の必要に迫られて、「何とか一つの国としてまとまり、国家の近代化を押し進めなくてはならない」というような理由で、言ってみれば、他の選択肢がないので仕方なく国家の近代化や経済発展を進めていた国々では、実質的にそうした近代化や経済発展の理由が、根本的に全くなくなってしまったようなところがあるので、その後、世界中の多くの国々は、一昔前の「超大国」と呼ばれていた国々の言うことをあまり聞かなくなって、自分達のやりたいように、あちこちで勝手にやりたい放題のようなことを始めるようになっていったということなのです。

 ところが、そうした混乱や停滞の期間が一定期間過ぎて、それ以前の時代に押し込められていた反抗心やフラストレーションのようなものが、いったん一通り開放されてしまうと、特にここ十年、二十年の間は、「こんなめちゃくちゃなことをしていても、自分達の生活は全然良くならないじゃないか」とか、「自分達と同じと思っていたあの昔の小国が、いつの間にか、とんでもない大都会に発展しているぞ」とか、「軍事的な理由なんてどうでもいいから、あのテレビで見た先進国みたいな便利で豊かな生活を、自分達の国でも出来ないものかな」などという具合に、言ってみれば、今度は、積極的に「自分達の国を、もっと豊かで便利な幸せな国にしてみたい!」というようなプラスの動機で、何とか一つの国や地域としてのまとまりを作ろうとするような気運が出てきたり、あるいは、そうした先進国や、うまく行っている発展途上国の真似をして、みんなで一生懸命働いて、経済成長を図ろうとするような国家の運営に多くの国々が、だんだん全世界的にシフトするようになっていったのです。

 つまり、第二次世界大戦後、特に東西冷戦終結ぐらいまでは、世界中の多くの国々が経済発展しなくてはならないと考えていた直接の理由は、何のことはない、「そこそこ強力な軍事力を持つ国になって、自分の国を侵略されたり、植民地にされたりしたくない」というような非常にマイナスのネガティブな理由であることが多かったのですが、そうした時代が終わって、一定期間の間、一種の混乱や無秩序状態のような時代が過ぎると、今度は完全に違う動機、つまり、単純に「あの先進国みたいな便利で豊かな生活を、自分達の国でもやってみたい!」とか、「自分達と同レベルと思っていたあの昔の貧乏国が、今や、あんなにものすごい先進国になってしまったということは、同じ肌の色をした(たいてい黄色や黒色の肌のことですが・・・)自分達にも、絶対努力すれば、同じようなことが出来るはずだ」というような理由、つまり、よりポジティブなプラスの動機で多くの国々が、国家の近代化と経済発展を目指すようになってきたのです。

 つまり現代、特にここ数十年の時代は、昔のような「侵略や植民地化されて、ひどい目に遭いたくない」というような非常にネガティブな悲観的な理由からではなく、そうではなく、もっと積極的で肯定的な理由、「もっと豊かで便利で幸せな社会を築きたい」というような理由から多くの国々が、国家の近代化や経済発展を行おうとするような、よりポジティブなプラスの動機に基づく経済発展の時代に大きく移り変わってきていたということなのです。

 

Cecye(セスィエ)

2011年12月14日 9:12 PM, 政治 / 社会、文化 / 経済 / 軍事



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