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「鏡」崇拝の問題点について Part 3

③「逆さまの世界」の象徴である「鏡」を、その国の主だった宗教の本尊に据えると、その国では非常によく似た二つ以上の存在が、お互いに対立し合いながらも、常に勢力的には全く均衡するような形で、ずっと存続し続けるような「分離の原理」の隠れ総本山のような場所になってゆく

 さて、こうした観点から、もう一度、現在、神道で祭られている鏡について考えてみると、これは現代人としては、本当に驚くような話になるのですが大きく二つのことが言えます。

 まず第一には、「あ、丸い鏡が飾ってある!」というような現代人の感想とは大きく違って、古代の人々が、そうした丸い鏡を見た際には、いったいどのように感じたのかというと、「あ、天照大神(あまてらすおおみかみ)様の御霊(みたま)が、そこにおられる!」とか、「キラキラと反射する不思議な御霊(みたま)が、そこにいる!」とか、「先祖代々の魂がみんな、あの中に住んでいるのだ!」などというような、はっきり言って、今日の目から見ると、ほぼすべて迷信だらけと言ってもよいような、かなり盲信、過信の目で、そうした丸い鏡を見ていたのではないかということです。

 第二には、これは現代人にとっては、本当に驚きとしか言いようがないのですが、実は古代の人々は、この世界の裏側にもう一つ全く正反対の不思議な世界があると知っていて、しかも、そこが自分達が元々いた素晴らしい天国のような世界であることもよくよく知っていた上で、そうした鏡を、この地上の世界とは「逆さまの世界」、もしくは、元々自分達がいた「天国」のような世界の象徴として飾っていたようなところがあったのではないか、ということです。

 つまり、これは現在、このブログでよく述べているようなミョウチクリンな「反世界」の意味ではなくて、天にある神々の国としての「高天原(たかまがはら)」(ここでは良い意味での・・・)、いわゆる「高次元世界」というような意味での「逆さまの国」、それから「逆さまの国の神様」というような意味で、そうした鏡を飾っていたふしもあるということなのです。

 ただ、これには少し問題があって、それというのは、そのような形で逆さまの国の象徴のようなものを、その国の主だった宗教の中心の本尊(礼拝の主な対象)に据えてしまうと、その後、その国には、常に「Aという存在があれば、その存在の正反対のA’(ダッシュ)という存在が、すぐに出てくる」とか、「Bという何かが発明されると、すぐにそのBとは全く対称的な存在のB’という何かが再発明される」などというように、常にお互いに全く正反対の存在が、まるで完全に対立し合うかのように生じて存在し続けるような非常に不思議な世界になってゆきがちであった、ということなのです。

 つまり「逆さまの世界」の象徴、もしくは「逆さまの世界の神様」のようなものを、その国の主だった宗教で祭ってしまうと、霊的に見ても、この世的に見ても非常に不可解な対立状況というか、非常に不可解な対立的調和のような不思議な状況になることがあるということなのですが、こうした霊的な影響によって日本の歴史では、かなり長い期間に渡って、非常に不思議なことがずっと起き続けるような状況になっていたようなのです。

※例をあげると「神道」vs「仏教」、「天皇(貴族)」vs「将軍(武士)」(普通どの国でも、どちらか一方しか残ってゆきません)、「南朝」vs「北朝」(あの時代は、日本の歴史の中で一番魔術のパワーが強かったからだと思われます)、それから近現代にかけては、「自民党」vs「社会党」(最近だと「民主党」vs「自民党」になるのですが、これは別に二大政党制自体を否定しているわけではありません)、それから「右翼」vs「左翼」などというようによく調べてみると、お互いにそれほど大きく意見や利害が異なっているわけでもないにも関わらず、まるでお互いに全く相容れないような根っからの敵であるかのように対立しては、憎しみ合ったり、戦い合ったりするような状況になりがちだったのではないかということなのです。

 ただ冷静に考え直してみると、これは現代人にとっては全く当たり前の話であるのですが、鏡に映る像というのは、単なる光学現象に過ぎないので、本当は単に鏡の前にあるものを光学的な原理でもって、そのままそっくり反射した結果、そうした鏡を見た人にだけは、あたかも鏡の中に自分を含んだ自分の身の回りの世界が映っているように見えるだけであったのです。

 ところが、そうした鏡を何らかの霊的な象徴にしてしまうと、常に「お互いに全く正反対の存在なのに、両方とも、ずっと統合されずに存続し続けている」とか、「お互いに自分とそっくりのことをしている存在が、なぜかずっと敵対関係のまま存続してしまう」というような二つ以上の対立する存在が、ほぼ完全に均衡(きんこう)するような状態でずっと存続し続けるような、言ってみれば、敵対的絶対調和の成り立つような非常に不思議なパラレル・ワールド(並行世界)が存在することになってしまうということなのです。

 この結論は極めて不思議な結論になるのですが、そうすると、そうした「逆さまの世界」や「逆さまの世界の神様」というか、「反世界原理」の象徴を国の中心の宗教に据えている場合、その国には、いったい何が起きるのかというと、実はその国を中心に常に一つだったものが、次から次へと二つ、四つ、八つと、どんどん分裂しながら対立関係に陥ってゆくにも関わらず、なぜか、みんなお互いが絶対必要な存在だと思って、敵対し合いながらも分裂状態のまま、ずっと存続し続けるような、言ってみれば、「分離の原理」の隠れ総本山のような場所になっていってしまうということなのです。

 

 続く・・・

 

 

 追伸

 こういう内容を書いていると鏡の魔術が多少かかってくるので、何だか目の前が少しチラチラしてきてしまいます・・・。

 

Cecye(セスィエ)

2012年4月4日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宇宙文明、古代文明 / 神道



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