第二次世界大戦の末期に、初めて登場した時の核兵器の位置付けと、それ以降の米ソ冷戦時代の核兵器の位置付けには、かなり大きな違いがある
そうすると現在の世界では、いったいどのような状況になっているのかというと、これは特に日本のように核兵器への恐怖が先立った議論ばかりが出てくる国では、少し理解しづらいかもしれないのですが(実際に核兵器を保有するようになると、そうした国でも、よくわかるようになるようなのですが・・・)、実は、第二次世界大戦の末期に、当時の大日本帝国の戦争継続への意思を完全に打ち砕く目的で、核兵器が使用された時の核兵器の位置付けと、その後、数十年に渡って、世界中で、数千発、数万発の核兵器を配備して、全世界的な核戦争の危機をくぐり抜けた後の現在の核兵器の位置付けでは、本当に天と地ほどの違いがあるようになってきているということです。
まず第二次世界大戦の末期に、当時のアメリカ合衆国が、最初に核兵器を使った段階では、その後のアメリカの政治的な立場とはかなり違って、はっきり言って、当時のアメリカ人にも、実際の核兵器の非常に強力な破壊力や、特にその後も長く悪影響が及ぶ放射能の危険性について、あまりよくわかっていなかったようなところがあったので、当のアメリカ人自身も、当時の核兵器の開発段階や、日本への進駐時に、どうも大勢、放射能の害によって被曝してしまったようなのです。
ですから、はっきり言うと、当時のアメリカの人々も、当時の大日本帝国との戦争が、あれほど泥沼的に長引いていたり、また当時の日米双方で、新しく開発された原子爆弾の破壊力について、お互いにはっきりと熟知していたのであれば、おそらく当時のアメリカ軍としては、大戦末期に実際に広島、長崎に原爆を投下しなくても、当時の大日本帝国政府に対して、「これ以上、戦争終結を長引かせる場合には、新しく開発した原子爆弾を、実際に使用する準備がある」と、ある程度、はっきりと意思表示するだけで、当時の大日本帝国政府は、わりとあっさりと戦争終結への手続きに応じたかもしれないのです。
※当時のナチス・ドイツや大日本帝国も、原子爆弾の研究、開発は行なっていたのですが、莫大な費用と、当時の最先端の工業力や科学技術が必要だったので、結果としては、うまくいかなったようです。
Cecye(セスィエ)