9、人間の利他的な欲求と、知的欲求の関係について
第九には、今度は少し話を変えて、人間の欲求の中でも、自分自身の欲求に関わるような生理的な欲求ではなく、どちらかというと、自分の欲求以外の、他の人々や生き物達のための利他的な欲求と、知的欲求の関係について考えてみたいと思います。
これは身近な話としては、とてもわかりやすいと思うのですが、例えば、「別に自分は、お腹がすいているわけではないのだが、自分の家族がお腹がすかせているようなので、何かご飯を用意してあげようと思った」とか、「自分は別に痛くも痒くもないのだが、自分の友人が、病気や怪我でとてもつらそうにしているのを、まるで自分のことのように感じて、何とか少しでも痛みを和らげてあげたいと思った」などというような話が、そうした状況になるのですが、要するに自分自身としては、特に何の生理的な欲求も感じていないとしても、自分に身近な家族や友人や同僚のような人々が、お腹がすいたり、体に痛みを感じていたりして、何か困っているようなことがあると、そうした他の人々や生き物達のために「何かしてあげたい」とか、「何かしなくてはならない」と感じてしまうことが多いのです。
こうした際には、人間は、単に「何とか助けてあげたい」と思うだけではなく、「相手が何で苦しんだり、困っているのか、はっきり知りたい」とか、「何らかのことを知ることで、そうした状況を解決したい」などと強く思うことが多いので、言ってみれば、これは単に自分自身の欲求のために「何かを知りたい」と思うような利己的な知的欲求ではなく、自分以外の他の人々や生き物達の欲求を叶えるために「何かを知りたい」と思うような利他的な知的欲求を感じることが、人間のような知的生物にはあるということが言えるようです。
Cecye(セスィエ)