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霊界の真相 Part 22

たいてい、どの宗教も、人間集団である以上、長い年月の間には、本来の宗教とは、かなり違った、「神仏」の名を借りた宗教サービスを行う一営利企業のような運営に、だんだん、すり替わってゆくことになる

 このように、いろいろな宗教というものを、普通の企業のような、単なる人間集団の一種である、というような目で見てみると、これは、非常に不思議なことであるのですが、実は、こうした人間集団で祭られている「神仏」と呼ばれる存在というのは、ちょっと喩えは悪いのですが、言ってみれば、その企業の主要な商品やサービスは、何なのか、ということを、一番、如実に表す存在になってしまうので、そうすると、どの宗教であっても、たいてい、以下のような五つの商品展開、というか、サービス展開というものを、どうしても、その人間集団の維持のために、計らざるを得なくなっていってしまう、ということなのです。

 

①たいてい、宗教で祭られる神仏というのは、その教団の規模や運営の長さに比例して、その偉大さや功徳が、どんどん拡大解釈され、誇大表現になってゆくものである

 まず第一には、たいてい、宗教というのは、それほど、きっちりとした証明というものは、求められずに、「その信仰によって、初めて、その真価を知ることができる」、というようなスタンスをとることが、非常に多いので、その結果、そこで祭られる「神仏」というのは、偉ければ、偉いほどいいし、強ければ、強いほどいいし、また、優しければ、優しいほどいいし、賢ければ、賢いほどいいし、それから、正しければ、正しいほどいい、などというように、はっきり言うと、その教団の規模が大きくなればなるほど、また、その運営の月日が長くなればなるほど、その偉さや強さや優しさや賢さや正しさといった、その神仏の偉大さや功徳の要素というものが、どんどん拡大解釈され、誇大表現になってゆくことが、非常に多かった、ということです。

 

②たいてい、宗教で恐れられている悪魔というのも、その教団の規模や運営の長さに比例して、その怖さや邪悪さが、どんどん拡大解釈され、誇大表現になってゆくものである

 第二には、これは、そうした「神仏」の発展過程と、たいてい、対をなすことが、非常に多いのですが、そうした「神仏」の偉大さや功徳を際(きわ)立たせるための脇役である「悪魔」という存在は、悪ければ、悪いほどいいし、強ければ、強いほどいいし、また、ずる賢ければ、ずる賢いほどいいし、醜ければ、醜いほどいいし、それから、怖ければ、怖いほどいい、などという具合に、これも同じく、その教団の規模が大きくなればなるほど、また、その運営の月日が長くなればなるほど、どんどん、その悪さや強さやずる賢さや醜さや怖さといった、その悪魔の怖さや邪悪さの要素というものが、どんどん拡大解釈され、誇大表現になってゆくことが、非常に多かった、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年1月19日 9:25 PM, おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界



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