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光について Part 13

 三つめは、これは、少し難しい内容になるのですが、霊的には、多少、ややこしい問題があって、昔から、そうした形で霊的な光だけを求めてゆくと、どうしても一定の割合で霊的におかしくなるような人々が出てくるような傾向があったので、たいてい、どの宗教や霊的思想でも、単に光り輝く明るいものだけを拝むような宗教のあり方はよしとせずに、目を閉じて、薄暗い光の中で、自らの心を研ぎ澄ますような祈りや瞑想を重んじたり、真っ黒な姿形の神仏を崇拝したり、あえて、少し地味な格好にして、あまり光そのものに心がとらわれずに、真実の神仏を求めるような修行をすることが、とても多くなっていったようなところがあった、ということです。

 四つめは、これも多少ややこしい話になるのですが、実は、人類の宗教の歴史で言うと、単に光や明るさのみを尊しとするような宗教は、意外と思想性が浅かったり、かなり行動原則があやふやになりやすかったり、また、おかしな指導者に引っ張られてゆくような傾向が強かったので、そうした光や明るさだけでなく、愛や慈悲の精神や、深い知恵や人間性を追求してゆくような姿勢や、わりと淡々と毎日の修行を積み重ねてゆくような宗教の方が、多くの人々の信頼をしっかり集めてゆくことが多かった、ということです。

 それから、五つめは、これは今述べたこととは、少し違った内容になるのですが、それでも、やはり、霊的には、例えば、仏陀やイエスのような聖人は、非常に愛や慈悲に満ちた雰囲気で光り輝いているように見えることが多かったので、そうした意味で、それ以前の修行の時期はともかくとして、そうした一種の悟りを表すような霊的な光は神聖視されることが、とても多かった、ということです(参考1参考2

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2014年11月25日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳



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