二つめの例としては、これも非常に多いケースになるのですが、霊界というか、幽界と呼ばれる所は、数の概念がかなりあやふやなので、これは霊界物の書物でも時々触れられているようなのですが、地上の世界だと、あの人物とはっきりと特定できるような人が、場合によっては、同じ場所に二人も三人も五人も、また場合によって、20人も30人もいるように見えることがあったのです。
これはもっと正確に説明すると、おそらく、そうした霊界では、当の本人としては、一人でいろいろなことをしているような感覚しかないのでしょうが、霊界の時間の流れが、地上の世界とはかなり異なっているために地上の世界の人間から見ると、まるで何十日分ものその人の様々な生活の様子を、一度に同時に見るような感覚になるからだと思われるのですが、要するに、こうした霊界の不思議な時間の流れから見ると、そこに霊があると言っても、本当に自分は、その人に会っているのかどうか、よく分からないような、あるいは、本当にその霊自身がいるのかどうか、よく分からないような不思議なところがあったのです。
それから三つめの例としては、これは、ちょっと分かりづらいかもしれないのですが、実は霊界には、その次元の霊界には確かにいるように見えるけれども、もっと高次元の世界から見ると、それは、ただの蜃気楼のような幻のような存在で、本当はもっと高次元の世界にいる存在の方が、本当の霊存在であると言ってもよいような、少し高度な存在形式を持っている霊存在達が、結構たくさんいたのです。
これは物質世界の観点から見ると、非常に不思議に思えるかもしれないのですが、霊的には、わりとスタンダードな存在形式の一種で、要するにある程度の高さの高次元世界にいる霊存在が、何らかの形で、それより下の次元の世界に霊的に関与しようとした場合、自分の意識をそのまま全部下げて、そうした次元世界に現れることが極めて難しいために、自分の意識の一部分だけをそうした下の次元世界に投影して、言ってみれば、一種の分身のような霊存在として活動することが、この宇宙では結構、あちこちで行われていたのです。
そうすると、これは端から見ていると少し不思議な光景なのですが、そうした高次元世界にいる霊存在が、低次元世界である程度、満足が行くような形の活動をし終わると、再び、もやのような形で、だんだん存在エネルギー自体が失われてゆき、そうした低次元世界では、いったん、ほぼ完全に消えてしまうようなことが、この宇宙では結構、あちこちで起きていることがあったのです(前に述べた「霊的な移行」と呼ばれるものです)(参考)。
Cecye(セスィエ)
2014年8月22日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界