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儒教も道教も、元々は、古代の中国において、愛と知恵の教えを説いた、ただ一人の人物の教えが分断されて伝えられたものだった Part 1

 神仏についての話が長くなってきたので、一応、それぞれのタイトルは別にしておきます。

 

日本の宗教と同じように、中国の「儒教」や「道教」に関しては、かなり厳重な霊的封印がなされた上で、ある種の「学問信仰」や「国家教」のような役割に果たすようになったと思われる

 さらにもっと脇道に入って、中国の神仏について考えてみたいと思うのですが、大まかに言うと、大体、次のような三つのことが言えます。

 

①「儒教」のように先祖崇拝を熱心に行いつつ、この世の権力者の何でも言いなりの人生を送った場合には、ほぼ確実に地上の世界と幽界の間で、たくさんの不毛な生まれ変わりを繰り返すような迷いの輪廻の過程に入ってしまうことが多いので、霊的には大変、危険な要素がある

 まず第一には、これも詳しくは、また後日述べたいと思うのですが、儒教の「孔子」に関しては、やはり二千年以上前ということもあって、仏教の釈迦と同様、元々のオリジナルの人物の話と、現在伝えられている話の間には、かなりの違いがあるのではないかということです。

 これは率直な見解で、大変申し訳ないのですが、普通、まともな高次元宇宙からの霊的な指導や援助を受けている人物が、先祖崇拝の祭祀(さいし)を一生懸命整えながら、それと同時に、この世的な社会的秩序や調和を整えるような仕事をするとは思えないので、おそらく、儒教は、後世、どこかの段階で、その時代の政府が、かなり強引に働きかけて、多くの人々が先祖崇拝しつつ、この世の権力者の命令通りに何でも従うように作り上げられた、一種の政治宗教だったのではないか、というのが私の素直な感想になります。

 前から、いろいろな所で何度も述べてきた通り、まずは先祖崇拝を熱心にやって、時の権力者の何でも言いなりの人生を送った場合には、死後は、ほぼ確実に、この地上の世界と、ほぼそっくりの「幽界」と呼ばれる世界に赴き、しばらく、そこに滞在した後、再び、ほとんど間を置かずに、何度も何度も地上の世界に生まれ変わってくるような迷いの輪廻の過程に入る公算が、非常に高いのです。

 それゆえ、高次元宇宙から見た場合、こうした儒教的な宗教観というのは、前に日本の神道のところで述べたこととほぼ同じように、多くの人々が、低次元の幽界と地上の世界の間を、何度も何度も行ったり来たりの生まれ変わりを繰り返さざるを得なくなるようにするために作られた、霊的封印教の一種だったのではないか、というのが、私の正直な見解になります。

 

②古代の中国では、道教の「天帝」や「地帝」が、元々は、ただ一つの、この宇宙の「創造主」や「キリスト意識」を意味していたものと思われる

 第二には、それでは、昔から中国において、多くの人々が、この宇宙の創造主やキリスト意識のような存在として崇めていたものは、いったい何だったのか、ということなのですが、これは大変、厳しい指摘になるのですが、昔から中国は、政治制度や技術や文化的には、日本よりも遥かに進んでいた時代が多かったのですが、ただ宗教的には、日本と同様、例の闇の勢力によって、かなり熱心に霊的な封印が行われた場所であったので、はっきり言うと、多くの人々の正直な感覚としては、そうした高次元宇宙というか、天上の世界に自分の意識を向けるだけでも、かなり恐怖心を感じるような時代が、とても多かったのではないか、というのが、私の率直な感想になるのです(おそらく、多次元世界(並行世界)の影響だと思われるのですが、昔の日本もそうですが、霊的な封印が強いと、どうしても、そうなってしまうようです。何となく霊界の上というか、高い空の上に硬い天井があるような変な感覚がしたのではないか、と思われます)。

 そうした中で、中国において、この宇宙の創造主やキリスト意識に当たる存在は、いったい何になるのか、というと、これは、もう間違いなく、特に「道教」と述べられているような、天上の世界にいるとされている「天帝」、もしくは、キリスト教の人々が言う「天主」と呼ばれる存在が、それに当たると思われます。

 それから、天帝に対する「地帝」と呼ばれる存在は、おそらく、元々は同じ、ただ一つの存在だったものを、あえて「天帝」と「地帝」の二つに分けて分類しているのだと思われます(あと、「天皇」という呼び方もあるようなのですが、これは日本の天皇とは、原則、全く関係ありません)。

 それから、女神的な存在としては、天后の「媽祖(まそ)」のイメージは、何となく、少し観音や聖母マリアのようなキリスト意識の女性的な側面を連想させるようなところがあるように感じられるのですが、いずれにしても日本の宗教同様、中国の宗教の場合、こうしたこの宇宙の創造主やキリスト意識に自分の意識を合わせて、その光や愛を感じるのには、やはり、それなりの努力や訓練が必要なようにとても感じます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年5月1日 9:02 PM, おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 宗教、道徳 / 神道



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