8、日中戦争にしても、太平洋戦争にしても、軍部が勝手に暴走して、拡大していったのではなく、常に当時の昭和天皇裕仁による、かなりきっちりとした政治決定の下で、次々と押し進められた戦争だったのではないか
現在までの教育やマスコミの報道を聞いていると、戦前の軍部のクーデター以降、まるで当時の軍部が勝手に暴走して、次々と戦争を拡大してゆき、最終的ににっちもさっちも行かなくなった段階で、当時の昭和天皇裕仁が、英断を持って、戦争を終わらせたような印象を受けるのですが、この説明は間違いで、戦後の天皇の立場と違って、当時の天皇は、現在の日本で言えば、全行政府を束ねる「首相」、兼、軍部の最高のトップである「大元帥」、兼、国家教の教主である「現人神」のような立場になっていたので、当時の天皇、裕仁が、日中戦争においても、また、それ以降の太平洋戦争においても、政府も軍部もマスコミも国民も、ほぼ完全にしっかり掌握した上で、一つ一つきっちり政治決定して、戦争を進めて、結果として、敗戦に至った、というように単純に理解すればよいのではないか、ということです。
つまり、単純に言うと、日中戦争にしても、太平洋戦争にしても、軍部が勝手に暴走して、戦争を始めたのではなく、当時の天皇、裕仁(現代の日本人の感覚だと、実際には、当時の国家教教主、兼、軍部も行政府も掌握した首相のような立場に近かったのではないでしょうか)を中心に、当時の政府や軍部が、宗教政治と軍政を敷きながら(民主的ではないので・・・)、一つ一つしっかり協議して、政治決定しながら、押し進めた戦争だった、ということです。
※みなさんもよくご存知のように、戦前、戦中の大日本帝国時代には、当時の天皇が、制度的には、軍部を含む行政府や裁判所や議会をすべて掌握するような立場だったのですが、戦後の日本では、国民が選挙によって、選んだ国会議員の最大派閥による内閣が、自衛隊を含む行政府や議会や裁判所を(もちろん、権力分立にはなっているのですが)、かなり慎重な立場で運営するだけでなく、それから、これは、はっきり言う人は少ないのですが、皇室の動向もチェックするようになっているので、制度的には、ちょうど逆さまになっているようなところがあります(日本国憲法には、そう書いてあります)。
※わりと自然な形で、王制から立憲君主制に移行していった国々では、王室(日本の場合は、皇室)に何らかの形で内閣や議会に対する拒否権が残っていたりすることもあるのですが(現実には、あまり行使されませんが・・・)、日本の場合は、国際的な孤立化の中で、当時の天皇を中心とした軍部が大戦争を繰り広げていった経緯から、戦後の天皇には、ある程度の権威は残すけれども、実質的な権力は全くないのみならず、国民の代表である内閣によるチェック(天皇の国事行為に対する助言と承認のこと)が行われることになっているので、政治的な実態としては、どちらかと言うと、天皇制(王制)は形だけで、実質的には、他の国々の大統領制に近い政治形態になっているものと思われます。
※ただし、天皇が行う国事行為といっても、よく調べてみると、実際には、例えば、国会で決めた法律を公布する際には、総理大臣や担当大臣の名義で官報(日本政府の公式の広報誌のようなもの)に載せる、とか、すでに主要政党が、総理大臣を初めとする各大臣を決めた後に、一応、形式的に任命式に行う、とか、総理大臣や内閣や外務省の人々が、正式の外交交渉を行う合間に、形式的に外国の要人をもてなす、とか、あるいは、内閣を中心とする人々が、現代日本で特に優れた人々を選んだ後に、公式のセレモニーで勲章を渡す、などというように、戦後の日本では、実際の重要な決定や交渉事や実務に関わることは、ほぼすべて内閣を中心とする人々が行っていて、現在の天皇は、それ以外の形式的なことや、古くからの宗教儀式に関わることだけをやっている、というのが実態のようです。
Cecye(セスィエ)