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太平洋戦争について Part 6

6、日露戦争の美談の基づく限り、戦前、戦中の昭和天皇が、優れた人格者だったという理由は、特に見当たらない

 さらに日本の歴史では、昔の日露戦争において、当時の日本の軍人が、敗軍のロシアの軍人に紳士的な対応をしたことを誉め称えていることが多いのですが(私は、これ自体は、素晴らしいと思うのですが・・・)、一部の人々の間では、連合軍に日本軍が完敗して、占領された後に、連合軍の司令官が、敗軍の裕仁に紳士的に対応したことで、なぜか連合軍の司令官を誉めるのではなく(日露戦争の時の軍人の理屈だと、そうなりませんか?)、「日本は、すべての植民地を失い、国家も焼け野原となり、たくさんの人々が傷つき苦しんだが、裕仁という大日本帝国の最高指導者は(能力や実績には、かなり問題があったとしても)、とても人格的に素晴らしかったのだ」、というような訳の分からない美談を堂々と展開することがあるようなのですが、これは、当時の日本の軍人の理屈としても、完全に間違っているのではないでしょうか(情報統制のきつかった戦前、戦中はともかくとして、戦後、「裕仁」という人について、特にそうした宗教的、人格的な美談というものは聞いたことがないので・・・)。

 

7、正しい歴史教育やマスコミの立場としては、歴史上、昭和天皇裕仁が大きく関わった、「終戦の詔」に代表されるような戦争終結のための働きだけでなく、「開戦の詔」に代表されるような日中戦争や太平洋戦争の開戦や全面拡大に関わった大きな責任も、しっかり伝えるべきなのではないだろうか?

 それから、よく戦後の日本では、当時の昭和天皇裕仁という人物が、戦争終結時に素晴らしいリーダーシップを発揮したという話ばかりが、ことさら強調されることが多いのですが(戦時中の日本人は、そんな風には全然思っていなかったと思いますが・・・)、そうであるなら、当時、昭和天皇裕仁の名前で、あれだけ堂々とした「開戦の詔」を発布して、国家総合員体制で戦争を遂行したのですから、当然、日中戦争や太平洋戦争の開戦時にも(戦後は、かなり隠しに回っていますが)、実際には、当時の昭和天皇裕仁という人物は、戦後は、いっけん、まるで何の政治責任もなかったかのような立場を固持していましたが、かなり大きなリーダーシップを発揮していたのではないでしょうか(平和、平和と言いながら、戦争の拡大ばかりやっているような二枚舌の政治家がいたら、戦後の日本では、間違いなく落選するのではないでしょうか)。

 ですから、普通、正しい歴史を伝える教科書やマスコミであれば、太平洋戦争の「終戦の詔」と、終戦時の裕仁の活躍を説明するなら、それと同じ程度に、太平洋戦争の「開戦の詔」と、開戦時の裕仁の言動をしっかり説明するのが、正しい立場になるのではないでしょうか。

 それというのは、当時は、戦後の日本と違って、大日本帝国憲法下なので、当時の偉い政治家や軍人は、特高や憲兵の活動や、軍部のクーデターのことがあったので、何か重要な国家の決め事がある場合には、必ず昭和天皇裕仁に一言通してから、やっていたはずだからです(今でも日本の組織は、みんなそんな感じではないですか?)。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2014年7月26日 2:50 PM, 歴史 / 軍事



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