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人間の信用や信頼感について Part 10

③さまざまな宗教の中での神仏と人間の間の信用や信頼関係について

 さて、三つめは、こうした神仏と人間との信用や信頼関係の中で、それでは、いったいどのような形で、ある程度のバランスを見いだせばよいのか、ということが、その次の疑問になってくるのですが、これに関しては、だいたい、次のような三つのことが言えるのではないか、と思われます。

 

①東洋系の宗教での神仏と人間との信用関係について

 まず第一には、これは東洋系の宗教を信じているような人々には、寝耳に水のような話になると思われるのですが、実は、こうした神仏と人間との関係が成立している場合、単純に考えて、神仏から人間への要求、例えば、神仏から見て、人間が、こういう条件を満たしてくれれば、地上の世界でも幸せにできるし、また死後の世界でも、天国に連れてゆくことができるというような要求を、人間の側が、しっかり満たしているのであれば、おそらく、その神仏が、確かにしっかりした存在である場合には、本当に人間を幸せにしてくれるのでしょうが、残念ながら、そうではなく、人間の側が、そうした条件を十分に満たしていない場合には、その人が、どんなに必死に祈ったり、経文を上げたりしても、おそらく、本当の救済というのは、ほぼ不可能に近いのではないか、というように考えられるのです。

 つまり、一般に信用関係というのは、自分が、一方的に要求するものではなくて、自分が、何らかの努力によって、相手が要求する水準をしっかりクリアーしている場合に、自分の希望ではなく、相手の判断によって、「あなたは、このレベルの人物である」とか、「あなたは、これだけの精神性や知識や能力の持ち主である」などと認められることによって、得られるものなのです。

 その点、東洋系の宗教というのは、神仏に一方的に願うような要素が強いわりに、人間の側の努力すべき内容が、あまりにも曖昧で、よく分からないようなところが多いために、そうした信用関係の面から見ると、実質、どの程度、そうした神仏が幸せにしてくれるのか、あるいは、来世も救ってくれるのか、というのが、かなり不確実なところがあるということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年12月11日 9:01 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 知恵、正しさ



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