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「愛」について Part 13

 それでは、このような形で、根本的なところに非常に大きな矛盾や問題を抱えた「愛」に関して、いったい、どのようなことが言えるのか、というと、だいたい以下のような三つのことが言えます。

 

①なぜ地上の世界の人々が、いくら、どこまで愛しても完全な満足感を得られないのか、というと、本当は、霊的には「愛」とは、単なる抽象的な概念なのではなくて、この宇宙の唯一にして、至高の光の創造主の元々の名前の一つだったからである

 まず第一には、これは多くの人々にとっては、目から鱗のような、かなり驚くような話になると思われるのですが、今日、多くの人々が、人生の中で、あるいは、この世界の中で、最も素晴らしい崇高な概念であると深く信じ込んでいる「愛」という言葉の意味は、おそらく、この地上の世界の人々は、ほぼ間違いなく、「誰かをものすごく大好きになること」とか、「誰かのために一生懸命、何かをすること」とか、「自分の心からの真心を相手に捧げること」などというようなニュアンスで考えていると思われるのですが、ところが霊的には、こうした「愛」の定義は、ほぼすべて間違いで、本当は、霊界では「愛」というのは、そうした抽象的な概念なのではなくて、この宇宙の創造主が、元々、多くの人々から呼ばれていた、彼(彼女)自身の名前、つまり目に見えない、形に出来ないような概念なのではなくて、実際にいる具体的な存在の名前のことであったということです。

 つまり前から、このブログでは、五次元以上の世界と、この地上の世界は、ほぼ正反対のような世界になっている、ということを何度も述べてきたのですが、実は、五次元以上の世界における、この宇宙の唯一にして、至高の光の存在とも呼ばれる、この宇宙の創造主の元々の名前が、特に日本語だと正反対になっているのですが、元々は「Ai(アーイ)」という名称であったということなのです(他にも幾つかの名称があります)。

 ですから、こうした見方からすると、先ほど述べてきたような大問題、大矛盾があるのは至極当然で、要するに今日、多くの人々が、愛に関して、なぜ、どこまで行動しても、また、どこまで思い尽くしても、完全に満足しきれないのか、というと、それは単純な問題で、本当は、「この宇宙を創った最初の光の存在である創造主を幸せにしたい」とか、あるいは、「現在の自分達の幸せは、すべて最初の根源存在である創造主のお陰であるのに、そうした創造主を、自分達は、まだ一度も本当に愛したことはないし、また本当に幸せにしたこともない」というような根本矛盾があるために、悠久の過去から現在に至るまで、多くの人々は、いくら愛せども愛せども、本当の満足感も達成感も味わうことができない、というような根本的な大問題を抱えていたのではなかったのか、ということなのです。

※前に高次元宇宙では、名前は、ほとんど使われていない、ということを述べたことがあるのですが、それは高次元世界であるからなので、もっともっと分離した感覚の強い低次元宇宙の、この物質世界が出来る以前の原初的な宇宙では、現在の物質世界と同じように、それぞれの存在固有の名称は一応存在していました。ただし現在と違って、これほどたくさんの種類の存在は、まだなかったので、それぞれの存在固有の名称と言っても、非常に単純な発音のものが多かったように感じられます。

※ちなみに、この宇宙の創造主を表すその他の名前としては、「Ai」の他に「Al」(アール)(おそらく、イスラム教の「Allah(アッラーフ)」や、英語の「all」の語源の一つ)や、「Kar(カー)」(「Mi(ミー)」は、光みたいな意味だったので、多分、日本語の神(カミ)の語源の一つ)や、「La(ラー)」、もしくは、「Ra」で、これは、どちらかと言うと光の指導者のような意味だったものと思われます(「Kar」の対になるペアの女性形は、「Kei」になるのですが、かぐや姫の話に出てくる「Kei」とは、少し別の個性になります)。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年12月21日 9:01 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 愛について / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 神道



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