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ギリシャ神話について Part 2

2、「長くて、まとまりのない膨大な神話体系を持つ国や地域は、ともすれば各地に小国家が乱立して、お互いに派を競い合うような長期混乱状態に陥りやすい」というような歴史法則があるので、注意が必要である

 第二には、これもあまり聞いたことのない話なのではないかと思われる内容になるのですが、実は現在伝わっているギリシャ神話では、「これを欠かすと、もはや正当な神々の神話とは言えないのではないか」と思われる大事な一点が見事に抜け落ちてしまっているということなのです。

 その大事な一点とは何なのかというと、「結局、あの長い長いギリシア神話の神々の話は一通り聞いたし、それから、そうした神々の名前もだいたい覚えたけれど、それで結局、あの神話って、何が言いたかったの?」という一点が、あの長い長い神話を聞くと、何が何だかよく分からなくなってくるようなところがあるのです。

 これは日本の神話についても、ほぼ同じようなことが言えるのですが、要するにあまりに長く、その上、ごちゃごちゃと大混乱しているような神話を、しかも全部、丸暗記が必須(ひっす)とばかりの態度で一生懸命聞かされたり、学ばされたりするような状況に置かれていると、そのうち、たいていの人間というのは、「結局、何が一番大切なのか」とか、あるいは、「自分は、いったい何をすればいいのか」というようなことが、だんだん何が何だかよく分からなくなってきてしまうようなところがあるのです。

 その結果は、みなさんもよくご存知の古代ギリシャの各地にできた小都市国家の乱立であったということなのですが、それは、いったいなぜなのかというと、あのような形で「あれも正当、これも正当・・・」などと、たくさんの神々が乱立して、その上、お互いに絶対的な正当性を主張できるような宗教形態になっていると、それが、やがて現実の世界にも大きな影響を及ぼすようになってゆくので、そのうち一つの大きな国家や共同体の平和や繁栄ではなく、どこもかしこも小さな小国家の乱立を招くと共に、それがお互いに絶対的な正当性を主張し合っては、お互いに競い合ったり、争い合ったりし続けるような一種の戦乱状態というか、分裂状態が、かなり長い期間に渡って、えんえんと続くような状態になりやすかったということなのです。

 こうした状況は、常にその地域の小国家同士が、ある程度の緊張感が持続した戦闘態勢や競争体制になっているということを意味しているので、それゆえ、そうした小国家の乱立状態は、うまく行くと他の国が侵略しづらいというような良い特性もあるのですが(日本の戦国時代がとてもよく似ています。おそらく、あの時代に日本が戦国時代になっていなかった場合は、あの時代の辺りを起点にして東南アジアの小国の運命とほとんど同じように日本は、その後、ヨーロッパの植民地になったのではないかと思われます)、逆に言うと常に略奪、人殺しは当たり前というような一種の無政府状態のようにもなってしまうので、その結果、あっちの国もめちゃくちゃだけど、こっちの国もめちゃくちゃというような、言ってみれば、ひたすら長期混乱状態が、ずっと続くような状況になりがちであったということなのです。

 つまり、これは歴史的には、かなり明確な結論の出ている一種の歴史法則のようなものであるのですが、一神教のような宗教形態になっている国や地域というのは、わりと簡単にその国や民族が一つに団結して、まとまりやすいという特徴を持っているのですが、それに対して多神教のような宗教形態になっている国や地域というのは、それこそいくらでも簡単に分離や独立の正当性が、次から次へと成り立つようになってしまうので、その結果、そうした国や地域というのは、わりと簡単にすぐに分離し合っては、お互いに派を競い合うような状況になってゆきやすいというような特徴があるのです。

 ただ一神教には、ともすれば、それが行き過ぎて、個人の自由や人権を犯しやすいというマイナスの要素もあるので、そうした意味では多神教の方が、より寛容な姿勢を持ちやすいことから、わりと個人の自由や人権が守られやすいというような特徴があるのですが、ところが多神教の場合には、今度は一人一人のエゴが前面に出てきて、対立や紛争が起こりやすいというようなマイナスの要素もあるので、それゆえ、そうした点では、こうした一神教と多神教の要素というのは、それぞれの良さを最大限に引き出しつつ、かつ、それぞれのデメリットを最小限に押さえ込むような知恵と工夫がとても大切なのではないか、というように私は感じております。

※単純に結論だけ言うと、こうした一神教と多神教の融和をはかるには、多くの人々の正しい霊的な理解を促進することによって、たとえそれぞれの宗教ごとに神仏の名前や個性や役割が多少異なるとしても、本当は中心の神仏はみんな同じ、この宇宙の創造主に当たる存在なのであり、そうした中心となる神仏の化身や分霊の形で幾つかの神々がいる(つまり中心の神仏は、いっけん、たくさんいるように見えても、本当は、ただ一つの存在なのであるということです)とか、あるいは、さらにその下の天使や菩薩に当たる存在がいるというような、多神教的な一神教の立場に立つことがとても重要なのではないか、と思われます。

※一般に「一神教」と理解されているユダヤ教やキリスト教やイスラム教に関しても、ただ一つの神の下にキリストや天使や預言者や、多くの人々がいる(宗教によって若干異なりますが・・・)というような形になっているので、元々は、こうした考え方だったのではないかと思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年5月15日 9:06 PM, ギリシャ神話 / スピリチュアリズム、霊界 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 政治 / 歴史 / 社会、文化



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