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現代のような民主主義全盛の時代には、大部分の宗教は、人間の自由性を著しく制限する点において、だんだん時代遅れの存在になってゆきつつある Part 6

4、世の中には、どちらかと言うと単純再生産の生活を志向する人々と、クリエイター志向の強い人々と、独占志向の強い人々の三つの集団があるのだが、古代や中世は、独占志向の強い人々が支配していた時代であったのに対して、近現代に入ると、だんだんクリエイター志向の人々が大活躍する時代に大きく移り変わっていった

 再び、ケーキの話に戻りますが、第四には、これは、もっと過激な考え方になってくるのですが、「こういう風に誰も自分のものだと主張しないし、誰も自分を咎(とが)めないような形で、無限にケーキが食べられるような仕組みが作れたら、いくらでも、このおいしいケーキが食べ続けられるのではないか」というような考え方をするケースもあり得るのですが、この場合、大きく二つの方法が考えられるのですが、まず一つめは、「それなら、そうしたおいしいケーキ自体が、たくさんオートマチックにどんどん増えるような世界の仕組みに変えてしまえばいい」というような考え方になるのですが、これは、このブログで取り上げているような、いわゆる本当の神様、というか、この宇宙の創造主の考えた世界のあり方ということになります。

 二つめは、「それなら、そのケーキを何とか他の人から取り上げて、自分だけが独り占めして食べれるような、うまい方法はないかな」というような考え方になるのですが、これは偽神、とか、偽創造主の考えた世界のあり方ということになります。

 そうすると、ここでそうしたケーキを元にして、単に「目の前にあるおいしいケーキを食べるか、食べないか」と考えている人々の群れと、そうした「おいしいケーキを、もうたくさん飽きるほど増やしてやろう」と考えるクリエイターのような人々の群れと、それから、そうした「おいしいケーキは、他の人には、絶対にやらずに独り占めしてしまいたい」と考えるような泥棒、もしくは、詐欺師のような人々の集団に、この人間社会というのは、常に大きく三つに分かれてゆく傾向があったということになるのですが、実は、こうしたケーキを取り囲む三つの集団というような目で社会を見てみると、古代や中世というのは、どちらかと言うと、ケーキを独り占めしようとする王様の下で(全部が全部、悪い王様ばかりだったと言っているわけではないのですが)、多くの人々が、「ケーキは食べたいけど、一生懸命我慢しなくちゃ」と言っていた人間の集団だったということになるのですが、ところが近現代に入ると、これが大きく様変わりしてゆき、そういうケーキの独り占めをしようとする王様の権力は、できるだけ小さく制限してゆき、経済や科学技術を発達させて、「おいしいケーキは、どんどん改良改善を積み重ねて、よりおいしく、よりたくさん作ってゆく」というようなクリエイター志向の人間をどんどん増やすと共に、ある程度の経済的な制約はあったとしても、できるだけ多くの人々が、「みんなでおいしいケーキを、山ほど腹一杯食べれるような世の中にしてゆこう」というような人間の集団に大きく様変わりしてゆくようになったのです。

 

ほんの一昔前の時代まで、多くの人々の願望や欲求というのは、現実には、ほとんど実現できなかったために仕方なく多くの人々は、きれいな寺院や教会の神仏の絵や像を眺めては、宗教家達のこの世離れした、うら美しい聖人の話や、神の国や極楽浄土や地獄の話を聞いて、日々何とか自分自身の心を慰め、明日への希望を見いだすような生活を淡々と送り続けるしかなかった

 さて、このように、これまでの人類の社会では、おいしいケーキを巡って、さまざまな人生模様が展開してきたということが言えるのですが、それでは、このケーキを、みんなが「何か欲しい」とか、「何かやりたい」と思うような願望や欲求の具体的な象徴として、もう一度置き換えて、説明し直してみると、いったいどうなるのか、というと、このケーキというのは、一昔前の人々が、表向きの建前はともかくとして、本当は心の中でずっと望み続けていた願いや欲求、例えば、「もう貧乏な生活はたくさんだ。一度でいいから毎日飢えずに、おいしいものが一生、たらふく食べられるような生活がしたい」とか、「汚いボロい家の生活は、もうたくさんだ。広くて明るい、冬は暖かく夏は涼しい、きれいで快適な家に住みたい」とか、「一生、古着みたいなぼろぼろの服で生活するのは、もうたくさんだ。一度でいいから、王様やお姫さまみたいなきれいな服で、たくさん、きれいなアクセサリーをつけた生活がしてみたい」とか、「一生、あごでこき使われるような貧乏な奴隷生活なんて、もうまっぴらご免だ。王様や女王様みたいに少しでも豊かでリッチな楽しい生活がしてみたい」とか、「もう親が、勝手に決めた結婚相手で一生過ごすなんて、まっぴらだ。結婚相手ぐらい、自分の相性で勝手に決めたいし、ダメなら自由に離婚だってしてみたい」というような願いや欲求であったのです。

 ところが一昔前の時代だと、こうした願いや欲求の現実世界での実現というのは、ほとんど無理だったので,その結果、多くの人々は、何かあるたびに宗教家の所に相談に行っては、「まあ人生、我慢が大事だよ。我慢していれば、そのうち良いこともあるさ」とか、「この世は地獄。だけど信仰さえ、きっちりやっていれば、死んだ後は、天国の極楽浄土で楽な生活ができるさ」とか、「人間、欲望には果てがないから欲望を捨てて、もっとさっぱりした心掛けで生きないとダメだよ」とか、「もっとみんなのために尽くすような愛の心で生きれば、自分の悩みなんて小さく見えてくるようになるよ」などというように、いろいろ細かい理屈は多いのですが、はっきり言うと、「何でも我慢」、「何でも忍耐」、「何でも信心」、「何でも死後の極楽生活(天国)」などという具合に、何とか精神的な側面だけでも、自分や家族をなだめて、慰めるような側面が、これまでの宗教では、非常に強かったということなのです。

 実は、こうした観点から考えてみると、多くの人々の単純素朴な宗教的な憧れや理想とはかなり違って、実際には一昔前までの宗教というのは、かなりこの世離れした、きれいな神仏の像や絵や、絢爛豪華な建築物や美術品を信者達の目の前にたくさん並べては、まずは、この世では絶対に誰も真似できないような、うら美しく清い聖人の話であるとか、最高の幸福が、次から次へと無限に体験できる高い高い雲の上の天国の話であるとか、それから失敗した人達が赴く怖い怖い地獄の話を、ああだこうだといろいろ話しては、はっきり言うと、そうは言っても現実生活は、そう簡単には、まずは変えられないので、「とりあえず、ここは信心して我慢して、待つことにしましょう」とか、「とりあえず、ここは未来の神の国や極楽浄土の到来を信じて、普通の地味な生活を、淡々と続けることにしましょう」などというような、言ってみれば、一種の「我慢教」や「忍耐教」のような部分が、現実には、かなり多かったのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

 追伸

 今週は個人的には、かなりごちゃごちゃと忙しかったにも関わらず、何とかずっと続いていたのですが、ところで昨日で、このブログの記事数が500を通り過ぎて、600を超えました。

 こうした現在の宗教について、現実的な観点から厳しく突っ込むようなスタイルの記事を書くと、たいてい途中ぐらいから、「こんなもの書かせまい」、「たくさんの人に読ませまい」とばかりに、いろいろな霊的な攻撃を受けることが多いようなので、ブログの記事全体が、だんだん重い雰囲気になってきて、何となく読みたくないような気分がしてきた方も多かったのではないか、と思うのですが、とりあえず現在の宗教についての前書きは、今日か、せいぜい明日ぐらいで終わって、その後、少し「個人的なアセンション」に関わる内容に入ってゆきたいと考えています。

 

 それから少し話は変わるのですが、いろいろ個人的に霊的に非常に攻撃を受けていた理由の一つとして、私の妻が小さい頃から、まるで自然の成り行きのような形で入れられていた宗教に今でも、ずっと霊的に所属させられているような変なへりくつでもって、霊的な呪縛を受けていたことが判明したので、先日思い切って、もう何十年も前に、当人としてはやめたつもりであった宗教団体に対して、しっかりとした内容証明付きで、脱会通知書を送りました。

 たいていの人は、宗教をやめる時には、何となく行かなくなって、もうそれっきり・・・、なんて話が多いと思うのですが、日本の場合、こうした場合にも、しっかり信者名簿に名前が残っていて、その後も、いろいろと霊的に影響を受けることが多いようなので、私は、もし、みなさんが昔、何らかの変な(後から考えてみると・・・)宗教に属していて、やめたような経験がある場合には、ある程度時間が経った後であっても、しっかり脱会通知書のようなものを送ることを勧めます(単なる神社の氏子(うじこ)のつもりでも、後に結構、しっかりした変な教義の宗教になっていることもあるので、注意が必要なケースもあります)。

 一応、内容証明付きにしたのは、そうすると法律的にも霊的にも、ほぼ完全に脱会扱いになるのと、もし裏に変なカラクリのある宗教の場合、その後も、信者名簿から名前を抜かない可能性が高いからです(ネットで調べると書き方の例は載っているので、自分で書けば、せいぜい郵送料も含めて、千円ちょっとぐらいしかかかりません)。

 そうした変な霊的な縁がなくなると、本当に何となく気分が、すっきりするものですよ。

 それでは!

 

Cecye(セスィエ)

2011年7月17日 9:26 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 社会、文化



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