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現在、闇の勢力は、かなり大規模に縮小中であるし、その中の確信犯的存在は、ほんの少数に過ぎないので、アセンションがあるからといって、大多数の人々は、それほど慌てて、怖がる必要は全くない

 前回の「アセンションする人としない人というのは、いったい、どうやって、決まるのか」という質問についての話の続きです。

 

3、世の中には、さまざまな性格のさまざまな事情を抱えた多くの人々がいるのは確かに事実だが、アセンションがあるからといって、ほぼ大多数の人々は、それほど慌てて、怖がって、生活する必要はないし、また現在、闇の勢力は、どんどん、その勢力を縮小し続けているので、おそらく、近い将来、本当の確信犯的存在は、ほんの一握りの少数だったことが、明らかになるだろう

 第三には、これも少し言いにくい話なのですが、実は、現在の世の中には、どう見ても普通の人間の感覚を持っていると思われるような人と、それから、何か結構、いろいろと複雑な事情があって、「仕方なく、ちょっと偏屈、というか、ちょっと歪んだ屈折した性格になり、かなり変わった人生を歩むことになってしまったのだな」、と思われるような人と、それから、「ちょっと、この人の雰囲気って、何だか物みたいで、本当に人間なのかな」、と思われるような人もいる、ということが言えるのですが、私は、人間として、生きる上での基本的なスタンスとしては、たとえ相手が、いかなる人間であったとしても、同じ血の流れている同じ平等な人間として、誠実に真摯に向き合うべきである、というように考えています。

 ただ、そうした人間関係には、必ず、「どうしても、これだけは譲れない」、と思われるような大切な一線があって、それが、「ちょっと、あなたのその行動は、自分を初めとするような多くの人々に迷惑をかけ、不快感を与えていますよ」、というような行動をその人がとった時や、それから、「そんなことをしたら、みんな、ものすごく困るじゃないですか」、というような何らかの反社会的な行動や犯罪行為をそうした人が行った時なのではないか、ということなので、当然のことですが、そうした場合には、たとえ同じ血の流れている人間であるとしても、相手に言うべきことは、はっきりと言い、また場合によっては、自己防衛や、家族や会社や社会の平和や安全のために、やるべきことは、きっちりとやることが大切なのではないか、というように私は考えております。

 

 それでは、そうした目で、現在起きている「アセンション」と呼ばれる状況を見直してみると、いったい、どういうことが言えるのか、というと、私は、基本的には、ほとんどすべてと言ってもよいくらいの大部分の人達は、それほど構えて、「大変な事態になる!」、とか、「自分は、ダメかもしれない!」、などと大きく怖れたり、何か特別なことを準備するような必要性は、あまりないのではないか、というように率直に感じています。

 その理由は、単純なのですが、実は、これは考えてみれば、当たり前の話なのですが、もし「アセンション」と呼ばれるものが、何か特別な宗教修行や、何か大きな活動が必要なものであるような大事業にしておくと、はっきり言って、現在の情勢だとほぼ全部の人間が、「もう絶対にダメだろう・・・」、というような状況に、ほぼ確実になってしまうために、現在、この宇宙の創造主は、そうした大きく一つに統合された世直し的な「アセンション運動」のようなものは、あまり望んでいない(というか、実質的に無理になっている)、というような霊的な背景があるからなのです。

 

 それでは、そうした、一つに大きく統合された地球規模の世直し運動的な「アセンション運動」のようなものは、本当に必要なかったのか、というと、実は、今から二十数年ぐらい前に、そうした大きく一つに統合された世直し的なアセンション運動が起きる、というような歴史のシナリオも現在の世界にはあったのですが、残念ながら、それは例の闇の勢力の約束違反、というか、彼らのかなり強固な妨害活動によって、歴史的に葬り去られ、完全にキャンセルされてしまった、というような完全に消えてしまった歴史のシナリオがあった、ということなのです。

 では、もし、そうしたアセンション運動のようなものが、二十数年前に全地球規模で起きた場合には、いったい、どんな歴史のシナリオになったのか、というと、この場合は、このアセンションのブログで述べているような宇宙が二つに分かれる、というようなシナリオではなくて、この宇宙が、わりとフラットな形で一つに統合されるが、ただ、その過程では、当然のことながら、その途中経過の世直し的な過程において、古い特権階級の人々は、ごく普通の一般市民の生活に舞い戻ることになる、というようなシナリオになったので、彼ら闇の勢力の側としては、彼らの隠している本当の邪悪な陰謀が、その過程で公にされることをかなり怖れていた、というような、さらに裏の理由があったために、そうした、わりと平和的な形で世界が、だんだん一つに統合されてゆく、というようなシナリオを、本当に邪悪極まるとしか全く言いようがないような汚い手段で、全面阻止にかかった、ということなのです。

 その結果、今から二十数年前に地球規模で一つの世直し的運動が起きて、わりと平和的な形で世界が、フラットな形で統合される、というような歴史のシナリオは、すべて反故(ほご)となり、その結果、現在、私達が体験しているような現在の地球の状況に置かれるようになった、ということなのですが、そうすると、現時点で私達は、現在の社会や多くの人々に対して、いったい、どのように考えてゆけばよいのか、というと、大体、以下のような二つのことが言えます。

 

 まず第一には、これは、人間として、当然のことなのではないか、と思うのですが、たとえ、いかなる状況になったとしても、そう簡単に自分の身の回りの人々を善と悪とか、光と闇などとは、そう簡単に白黒つけずに、できるだけ普通の同じ平等な人間として、付き合うのが適切なのではないか、ということです。

 つまり、このブログでは、常に良いものは良いとはっきり言い、また悪い物は悪いとはっきり言うが、ただ自分も含めて、身の回りの人々を単純に善と悪とか、光と闇などと分けてしまうと、その途端に自分自身が、二分裂の二元性の原理の世界に落っこちしてしまうことになるので、そうではなく、同じ人間であるならば、同じ人間として、誠実に愛情を持って、普通に接するが、ただ、もし何らかの問題や改善すべき内容があるなら、できるだけ適切に素早く改善、変更のための手続きを行うべきであるし、また、もし、あまりにも自分の仕事や生活に被害や悪影響を及ぼすような活動をしてくる人や団体があった場合には、適度に距離をとって、自己防衛すべきである、というような考え方になります。

 

 第二には、これは、大変言いにくい話なのですが、このブログでは、これまで何度も取り上げてきたように現在の地球には、「それって、ちょっと国家的、というか、人類的裏切り行為なのではないか」、とか、「そんなこと、みんなが知ったら、いくら何でも誰も君たちのことを許そうとしなくなるのではないか」、というような本当に残酷かつ卑怯極まる全く言語道断としか言いようがないような人類的、というよりも、宇宙的な大犯罪を行った人々が、隠れた支配体制を敷いていた、というような事実があるので、こうした内容については、この地球の未来の歴史のどこかの段階か、あるいは、この地球以外の宇宙の歴史のどこかの段階において、必ず、みなさんの多くは、その全貌を知って、かなり驚愕すると共に、「ちょっと、こうしたことを行う存在達との共同生活は無理なのではないか」、というように、本当に心の底から確信するようになる可能性が非常に高い、ということなのです(詳しくは、アセンション・シリーズをお読みください)。

 

 このように大きく二つのことが言えるのですが、こうした観点から考えてみると、要するに現在の地球のほぼ大多数の人々は、アセンションがあるからといって、それほど大慌てで怖れる必要性もないし、また、そうしたアセンションということを機縁にして、何から何まで身の回りの人々に善や悪や、光や闇などというように白黒つけて、回るような必要性もほとんどないのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年11月7日 9:07 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 現在のアセンションの状況



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