この文章は、あくまで参考程度に、お読みいただければ、よいというように私は考えているのですが(つまり、まだ、私は、積極的にホームスクーリングを推奨しているわけではない、ということです)、現在の日本の教育というのは、もう数十年以上の歴史があるので、いくら、こうした教育のことを、たくさん書いても、「でも、結局、そんなこと、無理じゃないか」、とか、「結局、何も変わらないんじゃないか」、などというような感覚を持つ方が多いようなので、今回は、少し趣向を変えて、私が言うような教育を行うと、一体、どのような子育てが出来るのか、ということについて、述べてみたいと思います。
ホームスクーリングについて
こうした文章をお読みの方には、ある程度、推測がつくのではないか、と私は思うのですが、私が、こうしたミッションに関わるようになると、ほぼオートマチックに、学校に通わせている子供達の様子が、だんだん、おかしくなってきたので、仕方なく、うちの場合は、ホームスクーリング(つまり、家庭において、親や家族の監督や指導によって、それぞれの子供が、自由に自習しながら、学んでゆくような学習スタイルのこと)という学習形態に変更することを、余儀なくされるような状況になってゆきました。
学校に行かなくても、それほど大金をかけなくても、しっかりした学習方針と対応策さえあれば、ホームスクーリングでも、かなりの学習成果を上げることができる
まず、現時点でのうちの教育法による子育ての成果について述べたいのですが、大体、以下のような五つの内容になります。
1、これは、うちの家庭のスタイルを反映してのことなのかもしれないのですが、とにかく、子供達は、いつも楽しそうに、学習したり、スポーツをしたり、家事の手伝いをしたり、遊んだりしている。
2、学力に関しては、大体、12〜13歳ぐらいまでに、中学までの学習内容は、ほとんど終わっており、大学検定は、16歳で、合格。その後、公立の大学に合格して、現在は、大学で、経営関係の勉強をしています。次の子供は、アメリカ留学が希望なので、現在、向こうの大検に当たるものを受けるための準備をしています(と言っても、端から見ていると、いつも好きなことをして、遊んでいるようにしか見えないのですが・・・)。
3、語学は得意で、英語に関しては、大体、12〜13歳で、英検2級(高校卒業程度の英語力)に合格、14〜15歳ぐらいで、TOEIC(トーイック)で、700点から900点以上(つまり、ビジネス英語のレベルです。英検は、準1級からは、試験のための試験みたいな内容だったので、途中から、実用性を考えて、TOEICに変更しました)で、英会話は、ネイティブとほぼ同等、それ以外に、フランス語も、実用会話レベルなので、日本語の本と同様に、うちでは、英語やフランス語の本も、子供は、たくさん読んでいます。
ただ、もう英語は、勉強というよりも、映画を見たり(いわゆる、アメリカのYoutubeとか)、本を読んだり、ゲームをするための生活に欠かせない(というよりも、毎日、楽しい生活を送るための)ツールになってしまっている感があるので、はっきり言って、端から見ていて、日本の学校のように、一生懸命、英語を勉強しているという様子は、全くありません。
それから、今後は、それ以外に、スペイン語や中国語を学びたいと言っている子供もいます。 それから、大学の入学試験対策に、インターネット上の英語の経済ニュースや、ドラッカーの経営学の本の原書(英語版)を読んでいました。
なぜ、こういう人間が、日本だと、教える側ではなく、教えられる側になるのか、私は、見ていて、とても疑問に感じていました(ちなみに、私は、子供の頃は、学校では、わりと優等生でしたが、英語は、いまだに、よく話せません)。
4、人付き合いは、良好ですが、親の影響もあって、他の人と仲良くなる前には、ちょっと警戒心が強いかな・・・(いわゆる、欧米人みたいな感じなので、実際、気が合うのも、向こうの人が多いように思いますが、別に日本人の方とでも、普通に付き合うことはできます)。
5、音楽は得意で、ピアノやギターやウクレレなどは、かなり得意ですが、残念ながら、野球やサッカーのようなスポーツは、あまりやる機会が少なかったので、それほど上手ではないのですが、それ以外に、ヨガやランニングやスケボーのような自分の好きなスポーツを楽しむ習慣は、しっかり身に付いたものと考えております。
などというようなことが言えるので、これは、実際の私の体験からの感想なのですが、現在のところ、ホームスクーリングで、学力がつかない、とか、人間関係において、引っ込み思案になって、うまく行かなくなる、というような状況は、全くなく、どちらかと言うと、その反対に、これは、あくまで、うちのケースの場合なのですが、ホームスクーリングにした結果、現在の学校教育の2倍から10倍くらいの学力がついたのと、それから、私が見る限り、これは、親の指導方針の影響もあったのでしょうが、子供は、いつも、とても楽しそうに、学習や、いろいろなことに取り組み、また、他の人との関係も、とても良好に、うまく築くことができるようなので、最初は、正直言って、少し心配に感じることもあったのですが、現在の時点では、結局、学校に行かせるよりも、ホームスクーリングの方が,ずっと良かったのかな、というようにすら感じている、というのが、正直な感想です。
追伸
今回は、少し趣向の違った話になったのですが、それは、ともかくとして、今日で、記事数が、全部で、400回を超えました(パチパチ・・・・)。
一応、あまり飽きないように、スピリチュアルな話と、ちょっと難しいと感じるかもしれない、政治や経済や文化の話などを、なるべく交互に載せるようにしているのですが、とにかく、前から、そうなのですが、こうした教育の話や宗教についての見解を書く時が、一番、ものすごく邪魔が来やすい、ということなので、おそらく、これは、私の率直な感想ですが、どう考えてみても、現在、全世界で、一番、大きい宗教、というか、思想団体、というか、本当は、かなり、いびつな洗脳手段になっている教育手段が、国家が中心に取り組んでいる義務教育、及び、それらを含めた、あらゆる教育になっているのではないか、というのが、私の感想です。
一言で言って、何が悪いのか、というと、学校に長く通うにつれて、小さい頃には、あれほど、ニコニコと幸せそうにしていた子供の笑顔が消えて、みんな、硬く硬直化した、まるでロボットのような表情の人間に変えられてしまう、というのが、とにもかくにも、一番の問題なのではないでしょうか(私も、いまだに、当時の習慣が、よく抜けていません?)。
なぜかと言うと、そもそも、多くの人々が、そうした教育を受ける理由は、その人が、一生、幸福な人生を生きてゆくために、必要な知識や技能を教えてくれるからであったはずなのに、そうした教育を受けると、一応、仕事はできる、一応、家事もできる、それから、一応、それなりの人間生活もできるのに、なぜか、一日中、よほどのことがない限り、ニコリともしないような、不幸生活しか送れなくなるなんて、全く、本末転倒の話としか、言いようがないからです。
それと、十数年も時間をかけたわりに、実際に社会に出てみると、あまりにも使えない、ろくでもない、無駄な知識が多すぎたことでしょうか?
明日から、ホームスクーリングについての実際の感想について、書いてみたいと思います。
Cecye(セスィエ)