それでは、今後の未来では、いったいどんな学校運営の方法があり得るのかというと、簡単に例をあげると、
①基本的な読み書きはゲーム方式で、家で家族が教えるか、あるいは学校か、近所の塾のような所で教えれば、それで十分とする(多分、私の経験だとホームスクーリングでは、それほど無理な詰め込み教育なんてしなくても、かなり修得が難しいと思われる日本語でも、6〜7歳から10歳ぐらいまでには、漢字も含めて、わりと気軽な感じでマスターできるのではないかと思われます)。
②授業は、一番授業のうまい人のビデオを、テレビ・クオリティーで映像や音楽付きの楽しいものを作って、それを学校か、家でネット経由で見て、後で何回か、チェックのための簡単なテストをして、7割ぐらいできれば、もうその授業はOKとする。
③ただ、それぞれの生徒が、ちゃんと学びが進んでいるかどうか、客観的な形でチェックしたり、分からない所を教えたり、いろいろ細かい点でアドバイスを行うような役割を担うために、一定の人数ごとに生徒が自由に選べる形で、担任の教師を置くようにする。
④現在の硬直的な教室わりに代えて、わりと緩いサークルのような感じで、いろいろな年齢の子供が自由に好きな所に所属して、自分の帰属感を確認したり、自分の好きな友人を確保できるような形のサークルのようなものを作って、それを中心にクラスの運営を行う。
⑤それぞれの子供にかかっている義務教育の費用を公開して、現在のような形で公立の学校に行きたい子供は、そのまま公立の学校に行けばよいが、それが嫌な場合は、私立の学校でも塾でも予備校でも、ホームスクーリングでも、それぞれの家庭が、好きな教育手段を選べるようにすると共に、それに必要なお金は、義務教育にかけているのと原則同じだけの金額を、それぞれの家庭に直接支給して、教育の援助とする(これは民主的には、本当は当たり前の理屈のはずなのですが、日本だと国家による学校制度の保護のために、みなさんの意思に関わりなく、私立学校に直接、みなさんの払った税金が支給される仕組みになっています)。
⑥体育や芸術や音楽は、ある程度、基本的なものを学校等で体験させたら、その後は原則、本人の好きなものを、本人の選んだ教室や先生等について、一定の金額の範囲内なら、金銭的に補助する形で好きなだけ学んだり、体験できたりするようにする(今は昔と違って、ちょっとお金を出せば、結構ハイレベルのことを、やさしく楽しく廉価で教えてくれるような文化教室やスポーツ教室のようなものが、日本中どこでもありますから・・・)。
⑦若い時代に、ものすごいプレッシャーを与えて、大変な苦労と努力を強(し)いるような、数年に一度の進学試験のようなものは全廃して、年中、いつでも自分の準備ができたら、好きな時に好きな分だけ小テストを受けて、一定の実力が認められたら、原則、自分の好きな学校に進学できるような、学生にあまり負担のない進学システムに全面的に変更する(アメリカやヨーロッパの一部の国では、もうそうなっています)。
※大学は、よほどの特別な事情でもない限りは、原則、入りたい人は、入りたい所に全部入れてしまって、合わない人は、いつでも別の学校に入り直せるとか、止められるというようにしておかないと、ここでは詳しく述べませんが、政治原則的には必ず、一部の特権階級のような人々によって、学歴社会(学者や教師の世界のこと)と、高級官僚の世界(位の高い役人のこと)と、超お金持ちの世界が、普通の一般市民には全く分からない方法で、いつの間にか独占されるような事態になるはずなので、本当は、現在の日本のような試験制度を維持することは、民主的には、とても危険です。
⑧現在のようにすべての子供が、学校に通わなくてはならないような学校中心方式は止めて、それぞれの子供に現在、もうかなり安価で手に入るようになった電子端末のようなものを持たせて、基本的には学校でやるべきことは学校でやり、家や、外の場所でもできることは、家や外でやってもよいというような、それぞれのカリキュラムのマスター中心方式のような教育方式に変えてしまう(現在の学校だと、それぞれの子供が分かっていようが、分かっていなかろうが、どんどん勝手に教師が授業を進めてゆくしかないので、本当は教育的には、かなり問題が多いのではないでしょうか?)
などなど、いくらでもあげられるのですが、現在の日本には、教育に関心のある人はものすごく多いし、また、お金のある人も、知恵のある人も、いろいろな専門家の人もたくさんいるはずなので、本当は、現在のように国家が強い制限さえ加えたりしなければ、こうした現在以上にもっともっと楽しく効果的に、子供のみならず、大人の人達でも、どんどん才能や能力を伸ばすような教育システムの改良や見直しというのは、全国どこでも、かなり自由に大胆に素晴らしいことが行えるのではないでしょうか。
Cecye(セスィエ)