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現代のようにテレビやゲームに囲まれて育った子供達に、「とにかく黙って、座って聞けばいい」というような授業の形式は、もうすでに完全に時代遅れなのではないか Part 1

 今回は、少し現在の学校システムについて述べてみたいと思うのですが、私が、とにもかくにも現時点で感じていることは、現代の子供達というのは、生まれた時から、テレビやビデオやゲームやインターネットに囲まれて育った世代が、もう大半になってきているのですが、そうした目で見てみると、現代の学校でよく見られるような一人か、二人ぐらいの「先生」と称する人が、40人も50人も、場合によっては、百人も二百人もいるような、たくさんの生徒(学生)達の前で、一方的にペラペラ話すような学校運営の形式というのは、ほぼ完全に時代遅れなのではないか、ということです。

 もっと具体的に言うと、例えば、今の子供達というのは、「ああ、このテレビ、つまんないな〜。もう別のチャンネルに変えちゃおう!」とか、「このゲーム、面白いから最後までやってみたいけど、この前のゲームは、何だか自分には全然合わなかったから、もう途中だけど、すっかり止めちゃった」とか、「今は忙しいから、この番組の続きはビデオに録っておいて、後で、ゆっくり見ればいいか」とか、「こんな話は、学校では全然、高学年にならないと教えてくれないけど、本やインターネットで調べれば、ちょっと漢字さえ読めれば、学校で教えてくれないような、どんな難しいことでも、いくらでも簡単に楽に、ただで調べられる」というような感覚を、まるで当たり前のように持って育った世代であるからなのです。

 そうすると、こうした子供達の目から見てみると、「テレビなら、もう10秒も経たないうちにチャンネルを変えたくなるような、超タイクツな下手な授業でも、学校だと、とにかく50分、黙って座って聞いていないといけない」とか、「もし、この授業が面白いゲームだったら、大学レベルぐらいまで一人で勝手にやっちゃうんだけど、学校にいると、とにかく十年がかりで、ゆっくり時間をかけて、やらないといけないんで、すっかり飽きちゃった」とか、「テレビの面白いニュースの解説なら、僕でも聞いていれば、簡単に分かるんだけど、学校の先生の話だと、退屈で途中で眠くなってきてしまう」とか、「こんなの授業を聞かなくても、この前、テレビで見たし、みんなで海外旅行にも行ったから、先生よりも僕の方が、よっぽどよく知ってるよ」などという具合に、はっきり言うと数十年前、というよりも、もっとはっきり言うと、たいてい100年以上前に、その主だったシステムが完成した現在の学校の運営方法というのは、現在の時代では、もうほとんど時代遅れの産物になりかかっているということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年11月6日 9:07 PM, おすすめ記事 / 政治 / 教育 / 社会、文化



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