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現代のような民主主義全盛の時代には、大部分の宗教は、人間の自由性を著しく制限する点において、だんだん時代遅れの存在になってゆきつつある Part 1

3、現代のような民主主義全盛の時代には、大部分の宗教は、人間の自由性を著しく制限する点において、だんだん時代遅れの存在になってゆきつつある

 第三には、これはあまり考えたことがない人が多いのではないか、と思われる内容なのですが、とにもかくにも現在の地球の宗教というのは、一昔前のような王制や貴族制のような時代であれば、まだともかくとして、現代のような民主主義全盛の時代では、かなり時代遅れ、というか、多くの人々の人間性、というか、自由性を不当に制限するような内容が、あまりにも多過ぎるという点で、実際、かなり問題があるのではないか、ということです。

 こうした問題について、ここでは、大きく四つの観点から述べてみたいと思います。

 

1、昔の宗教が約束していた「神の国」や「天国」や「極楽浄土」での理想の幸福な生活は、現代ではもうすでにほとんど実現されてしまったために、実質的に現代は、だんだん「宗教大衰退時代」、もしくは「宗教不必要時代」に突入してゆきつつある

 まず第一には、これは、ほとんどどの宗教でも、あまり表立って取り上げられることのないような話なのではないか、と思われる内容になるのですが、たいていの宗教では、次のような三つの内容についての質問や要望を口に出しても、おそらく、ほとんど相手にしてくれないのではないか、ということです。

 まず第一には、その宗教で聖者として尊敬されている人を、まるで自分と同じ人間のように考えて、「でも本当に、こんなこと出来たのかな?」とか、「そんな痛いこと、本当に耐えられたのかな?」とか、「もっと幸せな人生を生きたいと思ったりしなかったのかな?」というような、ごくごく素朴な人間的な質問というのは、たいていNGになっていることが多いということです。

 第二には、「私は神様のことも好きなんだけど、だけど隣のカッコいい○○君や、きれいな○○さんのことが大好きで忘れられないんです」とか、「教会は好きなんだけど、だけど暑い夏になると、もう仕事帰りの冷たいビールだけは絶対止められない」とか、「瞑想に集中したいんだけど、できれば冷房とかつけて、もう少し涼しくして、やってはいけないんですか」などという具合に多くの人々は、確かに精神的なものも大切にしているけれども、どう考えてみても冷静に見てみる限り、そうした精神的なものよりも、物質的な満足や快適さの方を優先しているように見えることが、現実問題として非常に多いということです。

 第三には、これは、たいてい多くの人々が心の奥に隠して、口にしないことが多いので、普通、端から見ているとあまりよく分からないことが多いのですが、どう考えてみても多くの宗教熱心な人々の表向きの言葉や行動とはかなり裏腹に、彼らの本当の心からの動機としては、「イエス様って素敵な人だな〜」とか、「仏様って、ハンサムでカッコいいな〜」とか、「マリア様は優しそうで、きれいな人だな〜」などという具合に、これははっきり言って悪いのですが、どう考えてみても、そうした人間の信仰の奥底には、常に不純な動機が、ちらほら見え隠れするようなところがあるのではないか、ということです。

 それゆえ、たいていの宗教では、多くの人々の、こうした欲求をうまくコントロールするような形で、「○○をすると、イエス様やマリア様と永遠の天国の世界で暮らせるんです」とか、「この厳しい戒律を守って、何十年かの修行に耐えると、ものすごい快楽だらけの天国の世界に行けるんです」とか、「地上の世界の人間生活は大変だけど、信仰を守った後の天国の生活は最高ですよ」とか、「もう少し努力して待てば、あなたも、きっと神様に会えるはずです」などというように何らかの我慢や努力と引き換えに、それ以上のもっとものすごいご褒美がもらえるとか、もっとものすごい最高の幸福が手に入るなどというような教義や運営方針が貫かれていることが多いのです。

 ところが昔の時代と違って、近現代に入ると宗教には、思わぬ強敵が現れるようになってきたのですが、それというのは、科学や経済の発達で、そもそもそうした宗教のプレイグラウンドになっているこの物質世界において、「とにかく涼しい(寒い時に読む人は、「暖かい」と呼んでください)、おいしい食べ物のいっぱいある世界だと聞いていた死後の天国の世界に行かなくても、この世界に生きているうちから、毎日、エアコンで涼しい(暖かい)、おいしい食べ物のいっぱいある生活ができるようになってしまった(現代の文明国の食べ物は、昔の王様や貴族のご馳走と、さほど違いのないレベルになっています)」とか、「昔と違って、お寺や教会まで行かなくても、テレビや雑誌を見れば、超カッコいい大スターや、ものすごい美人の女優さんなんて、いくらでも見ることができる」とか、「昔は、ものすごい苦行みたいなことに耐えると多くの人々から、ものすごく讃えられたりしたのだが、現代だと、すごいマジックやイリュージョンもあれば、ものすごい慈善事業家もたくさんいるので、そんなことぐらいでは、誰も興味を示さなくなってしまった」とか、「昔は寿命が短くて、いつ死んでもおかしくないような時代だったから、死後の天国の世界といっても、すごく身近に感じたけれど、この平和で医療の充実した超高齢化社会の現代では、死後の世界のことよりも、まだまだ何十年もある、この世の人生の幸福の方が、よっぽど気になってしまう」などというように、はっきり言うと、死後の天国の世界でのみ味わえるとされていた、ありとあらゆる素晴らしい豊かな幸福な体験というのが、現在の世界であると現実の物質世界で、そのまま体験できるような状況にどんどん、どんどん、本当に日進月歩で変化するようになってきてしまったのです。

 つまり、もっとはっきり言うと、現代の物質世界というのは、一昔前の宗教が約束していた最高の未来の福音、「神の国」の到来や、死後の「天国」や「極楽浄土」での最高に幸福な生活の実現というものは、現実にほぼすべて実現してゆきつつあるので、こうした物質的、あるいは、霊的に見た多くの人々の損得勘定から、よくよく世の中の動きを見てゆく限り、実は、現代の時代というのは、多くの宗教が、軒(のき)並み信者の大減少や解散に見舞われるような「宗教大衰退時代」、もしくは、多くの人々が、そもそもそうした宗教そのものを必要としなくなってゆくような「宗教不必要時代」に、だんだん突入してゆきつつあるのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年7月12日 9:27 PM, おすすめ記事 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 社会、文化



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