Light Symbol

たとえ高次元の光の存在達であっても、高次元世界にいるだけで、基本的には、地球の普通の人間と大して変わりないので、彼らへの過度の期待や盲信や依存は、百害あって一利なしである Part 2

霊的に見ると人間や生き物の苦しみや悲しみに、あまりにも強く意識を合わせすぎたり、強い信仰や信念を持ちすぎたりすると、かえって高次元の光の存在達からの守護や救済を受けづらくなるので、注意が必要である

 それというのも、この地球では、いつも述べているような闇の勢力が、かなりの宗教的な実権を持っていて、彼らの都合に合わせた形の宗教形態を次々と作っていったことが、その直接の原因になっているのですが、ここで特に強調したい内容としては、次のような三つのケースの場合、原則、その人の祈りは、神仏のような光の存在達には、ほとんど届かないし、また当然のことながら、そうした人は、彼らの守護や救済を受けることも、ほとんどできなくなってしまうということです。

 

①あまりにも肉体的、精神的な苦しみや悲しみに自分の意識が集中しすぎていると、高次元の光の存在達からの守護や指導を受けづらくなってしまう

 まず第一には、とにかく、「困った」、「苦しい」、「きつい」、「助けてくれ」、「もう出られない」、「しんどい」・・・、などというように、とにもかくにも肉体的、あるいは、精神的な苦痛や苦しみや悲しみの感覚や感情の部分に、自分の意識がフォーカスされすぎていると、いくら高次元の光の存在達が、その人に何らかの霊的な働きかけをしようとしても、本人の意識が、あまりにも波動的に低すぎて、コンタクトしづらいので、そうした肉体的、精神的に大変な時であればあるほど、自分自身の精神的な状態を穏やかに精妙に保って、そうした高次元の光の存在達からのコンタクトや救済を得やすい状態にする必要があるということです。

 

②あまりにも強い信仰心や信念のようなものを持ちすぎていると、それが、その人の周りに霊的な硬い殻のようなものを作ってしまい、高次元の光の存在達からの守護や救済が極めてやりづらくなってしまう

 第二には、いくら、その人が、いっけん信仰心の強い人のように見えたとしても、あまりにも、がっちりとした強い信念のようなものを持ちすぎていると、そうした信仰や信念のパワーが、一種の霊的な殻のような役割をしてしまって、高次元の光の存在達から、その人への守護や救済が極めてやりづらくなってしまうことが多いです。

 

③あまりにも強く自分の自己実現を中心とした念仏やイメージの集中のようなことばかりしていると、霊的には、神仏の世界とは正反対の悪魔になるための思考トレーニングになってしまうことがあるので、注意が必要である

 第三には、これも現在の地球では、「信仰」と勘違いされていることが非常に多い内容になるのですが、何か念仏や経文のようなものを、強い念力を込めながら、何度も何度も唱え続けるようなことをしていると、その人の意識が、ものすごく尊大で傲慢な状態になってゆき、その状態で、いろいろな願い事のようなことをすると、いろいろな神仏のパワーを使って、次々とそうした願い事を叶えることができる、というような宗教思想や自己実現の法則を主張するようなところがあるのですが、これも問題で、この場合、どちらかというと自分が中心になって、まるで神仏を、自分の自己実現のために好きなように、こき使うような霊的な状態を目指しているようなのですが、これは霊的に見る限り、はっきり言って、神仏のような高次元世界での生存を目指すというよりは、神仏を、まるで自分の道具のように、こき使おうとするような、いわゆる実質的には、悪魔になるための思考トレーニングになっているのではないか、ということになります。

 このように現在の地球の宗教では、いくら、いっけん信仰深く生きているとしても、神仏のような光の存在達に近づくどころか、その反対に霊的に見ると神仏のような光の存在達の救済や加護を断ったり、あるいは、彼らの足を引っ張ったりして、実質的に悪魔になるための思考トレーニングになっているようなものすら結構、数多くある、というような非常に厳しい現実があったということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年7月8日 9:21 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳



«

»

おすすめ記事

過去の記事