物質世界では、真実と偽り、あるいは、正義(善)と悪の判断は、常に、かなり曖昧で、よく分からないような難しいところがある
さて、話を元に戻しますが、要は、この物質世界では、今述べたように、真実と偽りであるとか、正義(善)と悪というものが、実際、かなり曖昧で、いい加減、というか、本当は、よく分からないようなところがあるので、その結果、実は、単純素朴に、「光の勢力が、真実で、善」、とか、「闇の勢力が、偽りで、悪」、などとは、そう簡単に、なかなか言い切れないような要素がある、ということなのです。
その理由は、大きく三つあります。
①真実や正義というのは、その時代や地域の特性によって、かなり異なっていることが多いので、単に真実か、偽りか、とか、正義か、悪か、というような観点で、光の勢力と闇の勢力を見分けようとすると、実際には、何が何だか、よく分からなくなってくることが多い
まず第一に、これは、現代人であると、わりと簡単に理解できるような内容になるのではないか、と私は思うのですが、ある時代の、ある国の真実や正義と呼ばれているものが、別の時代の、別の国では、完全にインチキで、悪とされていることがあるので、単に真実か、偽りか、とか、あるいは、正義か、悪か、というような秤で、光の勢力か、闇の勢力かを見分けようとしていると、実際には、何が何だか、よく分からなくなってくることがある、ということです。
②その時々の軍事や政治や経済の状況によって、この世界では、正義と悪の立場が、結構、簡単に、ころころ入れ替わってしまうようなところがある
第二には、これは、少し分かりづらいのではないか、と私は思うのですが、その時々の軍事的、あるいは、政治的なバランスであるとか、経済状況によって、きれいごとの建前の世界は、ともかくとして、この世界では、正義と悪というのが、結構、簡単に、ころころ入れ替わるように見えることがある、ということです。
簡単な例としては、ある時代の地方の武装勢力、というよりも、単なる山賊や海賊(現代風に言うと、ゲリラや暴力団のようなもの)が、その後、勢力を伸ばして、一定の範囲を支配下に置くようになると、場合によっては、その後、数百年も経つと、「偉大な国家の創世」、などと讃えられることもあるのですが、その反対に、どこかで討伐されてしまった場合には、「とんでもない蛮族」、とか、「最低の獣(けだもの)や鬼や妖怪」呼ばれりされたりするようなことすらある、などというように、この世界においては、普通の人が考えているほど(つまり、歴史の授業で教えられたようには)、そう単純に善悪なんて、決められなくて、実際には、「勝てば、官軍、負ければ、賊軍」、などというように、そうした正義や悪の根拠というのは、意外と、かなり曖昧で、いい加減だったりするものなのです。
ですから、そうした意味で、正義と悪というのは、普通の人が考えているほど、そう簡単には、単純に決められないようなところがある、ということです。
Cecye(セスィエ)