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幸福な世界の最大化を目指しているのが、光の勢力であり、不幸な世界の最大化を目指しているのが、闇の勢力である Part 4

③現実の社会には、正義を振りかざす悪人もいれば、いっけん、悪人のように見える、正しい人間がいることもあるので、そう簡単に、正義と悪の観点だけでは、光の勢力と闇の勢力を見分けられないようなところがある

 第三には、これも、かなり理解しにくい内容になるのではないか、と私は思うのですが、この世界の実情を見る限り、正義を振りかざす、とんでもない悪人もいれば、その反対に、いっけん、悪人のように見えたけれど、実際には、その人がいなければ、後の幸せな時代はなかった、というくらい、ものすごく正しいことをした人も、この世界には、大勢、いる、ということです。

 つまり、この場合の正義とは、単なる、きれいごとの言葉でもなければ、法律でもなく、また、道徳とも違う、というような、少し変わった正義であった、ということなのですが、実際、人類の歴史を見てみると、とんでもない戦争犯罪を犯した独裁者のような人物に限って、ものすごくクリーンで、きれいごとの素晴らしい演説をするような人物であることが多かったり、また、意外と、後から調べてみると、その法律を犯した人間が悪かったのではなく、その時代の法律の方が、現代の感覚で言うと、人権を踏みにじるような、とんでもない悪法であることが多かったり、あるいは、これは、性道徳などが、代表的な例に当たるのでしょうが、その時代の大部分の人達には、かなり厳しい性道徳を守らせているにも関わらず、肝心要の、その国や宗教の支配者は、裏で、かなりめちゃくちゃな淫乱騒ぎをしているようなケースがある、などというように、現実の社会で、正義、正義と言っているからといって、それが、そのまま、その人や、その団体の正しさを示しているのではないことが、本当に、たくさんある、ということなのです。

 その反対に、いっけん、正義とは、ほど遠い人間が、結果的に、多くの人々を幸せにした例というのも、世の中には、数限りなくあるのですが、実際、人類の歴史を見てみると、今日では、世界的にスタンダードな民主主義の制度というのも、元をたどれば、多くの人々が、その時代の秩序や法律を破り、警察や軍隊と戦い、王家を倒して、非常に長い困難と苦労の末に手に入れた政治制度であるし、また、今日、多くの人々が満喫している自由というのも、元をたどれば、国家権力に楯突き、宗教や道徳の主張とも、真っ正面から対決しながら、多くの人々の幸福の実現のために、さまざまな試行錯誤の末に手に入れたものである、などというように、現実の世界では、その社会において、いっけん、悪と言われているものであっても、それが、そのまま、その人や、その団体の悪を示しているわけではないようなケースが、結構、たくさんある、ということなのです。

 このように、私達の生活している現実の社会では、正しさと間違いであるとか、正義や悪というのは、意外と、かなり曖昧で、いい加減、というか、その時々の場所により、時により、人により、また、状況によって、ころころと、その正邪が入れ替わってしまうようなところがあるので、そうした観点から見る限り、「光の勢力だから、すべて真実で、善」、とか、「闇の勢力だから、すべて偽りで、悪」、などとは、そう簡単に言い切れないようなところがある、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年4月23日 9:18 PM, 人生観、世界観 / 政治



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