少し前の「霊的、現代的な観点から見た仏教の教えについて」の続きの文章を載せてゆきたいと思います。
元々の釈迦の仏教の教えと、その後、次々と興隆していった様々なバリエーションの仏教の教えについて
四つめは、これも説明を非常に難しく感じるのですが、かなり簡単に要約して説明すると、先ほど述べたような形で、古代インドで説かれた元々の釈迦の教えは、その後、歴史を隔てるにつれて、「これも釈迦が説かれた」、「あれも釈迦が説かれた」などというように、当時のインドやインド周辺のアジアの国々において、誰もが一目置く、絶対的な権威となっていた「釈迦」、あるいは、「仏陀(仏)」などの名前を借りて、現代風に言うと「続・釈迦の教え」、「続々・釈迦の教え」などというように、まるで釈迦本人が直接説いたかのような体裁になっているにも関わらず、はっきり言うと、後世のある程度、仏教に詳しかった人々が説いた新仏教や、新々仏教が、次々と興隆してきたようなところがあったわけです。
それゆえ、その後の仏教の世界では、そうした経緯で、あまりにも難解だったり、大きく逸脱しすぎた仏教の宗派が出てくるようになると、「いや、元々のお釈迦様の教えは、そんな難しくなくて、こんな心身の状態になるように修行してゆけば、それである程度の悟りは得られるんだよ」などというように、元々の原始仏教のあり方を模索しようとするような人々が出てくることもあれば、また、その一方で、「どうです。みなさん聴いてください。この仏教教典によれば、これこそが、お釈迦様が説かれた最高に優れた教えで、こんな素晴らしい教義や功徳があるのです」などというように、多くの人々の耳目(じもく)を引くような、もっと華やかで壮大で豪華絢爛な素晴らしい教義やご利益があると名乗るような「仏教」の新宗派も、次々と出てくるようになってきたようです。
そうすると、さらにその折衷案で、「本当は、わりと単純な原始仏教的な教えを伝えたいのだが、ただ、そうしたことを言っても、最新の新仏教系の教えには勝てないので、そこをなんとか、うまくミックスするような形で、その時代や社会に最も合った、もっと新しい仏教のあり方はできないものだろうか」などというように、さらに新しい仏教のあり方が模索されるような歴史が、ずっと続いてきたようなのです。
Cecye(セスィエ)
2021年10月1日 9:08 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / おすすめ記事 / 仏教 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 歴史 / 知恵、正しさ