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闇の勢力のもともとの出自―「正世界」とは、何もかも全く逆さまの「反世界」の原理と様子

 今回も、前回に引き続き、前に書いた文章からの抜粋になります(途中からで、分かりづらい方は、もう少し前の所から、お読みになることを勧めます)。

 

闇の勢力のもともとの出自―「正世界」とは、何もかも全く逆さまの「反世界」の原理と様子

 前にも少し述べましたが、私達のいる、この物質世界というのは、高次元の光の宇宙領域である「正世界」と、低次元の暗黒の宇宙領域である「反世界」の間の、ちょうど中間の辺りの「中世界」と言ってもよいような次元領域の世界、つまり、そうした正世界的な要素と、その反対の反世界的な要素の両方が、ごちゃごちゃに入り交じったような、まさしく、玉石混淆の光と闇の世界である、ということなのですが、これは、地球の常識としては、なかなか信じられないとは思うのですが、彼ら闇の勢力の連中というのは、その元々の出自が、高次元の光の宇宙領域である「正世界」とは、全く正反対の、低次元の暗闇の宇宙領域である「反世界」であるために、そうした高次元宇宙に存在する人々や生命達の意識や活動原理とは、本当に、ほとんど全く正反対の意識や活動原理というものを、その特徴として持っている、ということなのです。

 それでは、こうした反世界的な意識や活動原理に基づき、彼ら闇の勢力の連中というのは、常に、一体、何を考え、どう行動するようになるのか、というと、これは、高次元の光の宇宙のような正世界的な意識や価値観を持った人間には、なかなか受け入れがたい概念であるのですが、はっきり言うと、彼ら闇の勢力の連中というのは、私達普通の人間の感覚や考えとは、本当に、ちょうど何もかもが、全く正反対の感覚や考えというものを持っている、ということ、つまり、たとえば、私達普通の人間が、楽しいと感じれば、彼らは、それをつまらないと感じるし、私達普通の人間が、苦しいと感じれば、彼らは、それを嬉しいと感じるし、また、私達普通の人間が、美しいと感じれば、彼らは、それを醜いと感じるし、私達普通の人間が、汚いと感じれば、彼らは、それを清潔だと感じたりする、などという具合に、とにもかくにも正世界に、その元々のルーツを持つような私達普通の人間の感覚や認識と、反世界に、その元々のルーツを持つような、彼ら闇の勢力の連中の感覚や認識というのは、本当に、何もかもが、全く正反対の状態になっている、ということなのです。

 こうした話は、少しSFじみているので、なかなか受け入れづらい方もいるのではないかと私も思うのですが、たとえば、私達の身近な生活を見回してみても、ある人には、ごちゃごちゃのゴミとしか感じられない物を、別のある人は、大切な宝物のように感じていることがあったり、あるいは、ある人には、最低の行為にしか見えないような行為が、別のある人からは、最高の感動的な行為であると感じられるようなことも、現実に多々ある、ということからもよく分かるように、実際、こうした反世界の感覚や認識というのは、正世界的な私達普通の人間の感覚や認識とは、本当に全くかけ離れた、全く正反対のものであった、ということなのです。

 こうした正世界と反世界の感覚や認識に関する細かい説明は、また、別の機会に述べたいと思うのですが、要は、高次元の光の宇宙領域である「正世界」と、彼ら闇の勢力の起源となった低次元の暗闇の宇宙領域である「反世界」というのは、大体、以下のような四つの点において、本当に全く正反対の世界であった、ということなのです。

 まず第一には、とにもかくにも正世界と反世界では、感覚や認識が、全く正反対になってしまう、ということ、たとえば、「キレイ」と「汚い」であるとか、「快感」と「苦痛」であるとか、「楽しい」と「つまらない」であるとか、「正しい」と「間違い」であるとか、「明るさ」と「暗さ」であるとか、「白」と「黒」であるとか、「前後」や「上下左右」であるとか、「大きい」と「小さい」といった違いが、ほとんどすべて正反対のように感じられたり、認識されたりする、ということです。

 第二には、これは、私達普通の人間と、彼ら闇の勢力の連中との間における最も大きな違いである、ということであるのですが、とにもかくにも、正世界の生命が、最も良いとか、最も意義を感じるような正しさや尊さの観念と、彼ら反世界の生命が、最も良いとか、最も意義を感じるような正しさや尊さの観念というのが、完全に逆さまになってしまっている、ということ、つまり、たとえば、正世界では、他の人のために愛を与えたり、尽くしたりすることが、一番素晴らしい、と考えられているとしたら、その反対に、反世界では、できるだけ合理的に、他の人から何かを奪ったり、奉仕させたりするのが、一番よいことである、と考えられていたり、また正世界では、できるだけ多くの人々が、自由で民主的な方が良い、と考えられているとしたら、その反対に、反世界では、できるだけ多くの人々が、不自由な状態で、一部の人々によって完全に支配されている方が良い、と考えられていたりする、ということです。

 それから、第三には、これは、現代の地球人としては、非常に理解しづらい内容になるのではないか、と私は思うのですが、少し専門用語になりますが、時空間とエネルギーの関係が、常に正世界と反世界とでは、完全に逆さまの状態として認識される、ということ、つまり、高次元の光の宇宙領域である正世界と、低次元の闇の宇宙領域である反世界とでは、常に、時間の前後や空間の上下左右といった時空間の認識が、完全に逆さまのものとして感じられると同時に、正世界において、エネルギーのない状態が、彼ら反世界の存在達にとっては、最高にエネルギーに満ち満ちた状態となったり、あるいは、その反対に、正世界でエネルギーが満ち満ちている状態が、彼ら反世界の存在達にとっては、最低にエネルギーがない状態になってしまう、などというように、時空間的にも、また、エネルギー的にも、正世界と反世界の状態というのは、ちょうど真っ逆さまの状態になっている、ということです。

 そして、第四には、これも説明としては、少し難しいのですが、前にも少し述べたように、実は、正世界の生命体というのは、基本的に、それ自体でもって、十分に幸福を満喫できるし、また、それ自体でもって、いくらでも生命維持が可能な性質を内包している、ということであるのですが、その反対に、反世界の生命体というのは、基本的に、そうした正世界の生命体に、何らかの形で寄生したり、害を与えるようなことをしていないと、それ自体では、全く何の幸福も感じられないばかりか、それどころか、すぐに、めちゃくちゃになって、崩壊してしまうような性質を持ったものであるのです。

 それゆえ、そうした反世界の生命体というのは、正世界の生命体に対して、まるで強い磁力や引力によって引き寄せられるかのごとく、常に近づいてきては、何らかのアプローチをしてこようとするような性質があるのですが、ところが、そうした反世界の生命体が、正世界の生命体に接近してくると、前にも述べたように、ほぼ必ずと言ってよいほど正世界の生命体を、次々と破壊したり、不幸に陥れることになってしまうので、その結果、正世界の生命体としては、その生命の維持すら全くできないような大変な状況になってしまうことになる、ということなのです。

 つまり、正世界の生命原理というのは、現代の言葉で言うと、いわゆる、それ自体でもって、十分維持可能、持続可能な生命体系を持っているのに対して、反世界の生命原理というのは、常に破壊や略奪による破壊型、もしくは、崩壊型の生命体系になっているので、本当は、正世界の生命体としては、彼らに対して、十分に距離を置いて、自分達の幸福や安全を、しっかりと確保しなくてはならないのですが、そんなことには、全くお構いなしに、そうした反世界の生命体というのは、少しでも何かの縁があれば、そうした正世界の生命体に対して、まるで磁力や引力によって引き寄せられるかのごとく近づいてきては、次々と破壊したり、略奪してくる、などというように、こうした正世界の生命体と反世界の生命体の間の双方の関係というのは、結構、危険な要素を持っている、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年7月7日 9:04 PM, アセンション・シリーズ 4



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