少し前に書いていた「戦前戦中の「大日本帝国」と戦後の「日本国」の違いについて」の話の続きです。
3、第二次世界大戦後の「日本国」は、確かに世界的に見ても、歴史的に見ても、非常に素晴らしい国かもしれないが、だからといって、戦前戦中の「大日本帝国」も同じように素晴らしかったというのは、ほぼ完全な間違いである
第三には、これも現代の日本だと、いつもかなり間違って説明されているように思われるのですが、いくら現代の日本が、東アジアを代表するような民主主義の先進国の一つで、非常に豊かな素晴らしい社会になっているとしても、それが即、戦前戦中の大日本帝国が素晴らしかったからであるというような説明は、ほぼ全く間違っているのではないか、ということです。
これは日本の学校で歴史を学ぶと、ほぼすべて人が、何となく信じ込まされてしまうような内容になるのですが、要するに、現在の日本の歴史の説明では、古代のヤマト朝廷から始まり、天皇中心の日本の歴史がずっと続いていったのだが、その後、武士の政治支配の時代となり、それから再び明治維新で天皇中心の国家になって、さらにその後、第二次世界大戦以降、現代のような民主主義国の日本になった、というような歴史のあらすじになっているので、簡単に言うと、今日の大多数の日本人が経験しているような非常に豊かで自由な生活は、何となく明治維新以降の日本で出来上がってきたような錯覚を持ちやすいのですが、それは、次のような十の理由から、ほぼ全く間違いなのではないか、ということなのです。
まず第一には、戦後、主として日本の高度成長が始まって以降の1950年代以降の、非常に物質的に豊かな日本と比べると、戦前戦中の日本は、ほぼ全く別の国なのではないか、というくらい、全体として見ると、物質的に非常に貧しい国であったということです(この場合の貧しいというのは、食べ物や衣服や住居に苦労したり、かなり厳しい人権の蹂躙や人身売買も行われているような、今日の日本人の感覚からすると、かなりひどい貧しさです)。
これは冷静に調べ直してみれば、ほぼ明らかなのではないかと思われるような内容になるのですが、ここ数百年の日本の歴史を客観的に見た場合、一部の特権階級のような人々の生活は、別だったかもしれないのですが、大多数の日本人が、現在のような豊かな生活を送れるようになったのは、明治以降ではなく、主として1945年以降の第二次世界大戦後の日本になってからです。
明治以降の日本では、政府や一部の都市や軍隊や工場などの近代化は、それなりに非常に進んだのですが、大多数の日本人(つまり普通の庶民)が洋服を着て、おいしいものを十分に食べ、また、たくさんの電気製品やガス製品に囲まれて、車や電車に乗り、それから、わりときれいな家に住み、現代的なオフィスで働くような、そうした今日のような豊かな生活を送れるようになったのは、主として戦後の日本になってからのことです(それから精神的な豊かさ、つまり、かなりきっちりとした自由や人権が保障されるようになったのも、戦後のことです)。
Cecye(セスィエ)