2、社会の近代化が始まったばかりの国や地域では、なんだかんだ言っても、結局、子供は親の仕事をそのまま継ぐようになるケースが多かった
第二には、それでは、そうした時代が過ぎてゆき、ある程度、職業の自由が保証されるような近代社会に移り変わっていった際に、多くの人々の職業への感覚は、いったいどのように変化していったのか、というと、これは、あまり細かく考えたことのある人は少ないかもしれないのですが、大まかに言うと、だいたい次のような感じに移り変わってきたのではないか、と思われます。
たいてい、そうした時代になると、よほど厳しい経済環境に置かれているか、あるいは、かなり辺境に住んでいるような人々以外は、国が整備した学校に通って、言葉の読み書きや計算の仕方や地理や科学や語学などを学ぶようになってゆくものなのですが、そうすると、それ以前の時代のように、もう単純に農民の子供は農民、商人の子供は商人というような単純素朴な人間の見方は一挙に崩れてきて、農民の子供であっても、時折、とてつもなく暗記や計算のできる子供がいるとか、商人の子供であっても、計算や人間関係が不得意だったり、体育や工作がものすごく得意な子供がいるとか、たとえ元軍人の子供であっても、そんなに威張らない控えめな人がいたり、それどころか、どちらかと言うと科学や芸術が得意な人がいるなどというように、それ以前の時代であれば、ほぼ当たり前であると思われていた常識や価値観、つまり軍人の子供は軍人が一番合っていて、農民の子供は農民が一番合っていて、商人や技術者の子供は、商人や技術者が一番合っているというような世の中への物の見方は、そうした学校教育の時代になると、どんどん崩れていってしまったわけなのです。
それではその後、多くの人々の間では、いったいどのような職業選択が行われるようになるのか、というと、これは、まだまだ時代の制約であるとしか全く言いようがないのですが、結局、なんだかんだ言っても農民の子供は、やっぱり親の経済上の理由などで、どんなに頭が良くても農民になるとか、商人の子供は、どんなにスポーツや芸術が好きでも、やっぱり商人になるとか、軍人の子供は、結局、親の引きで軍人になるなどというように、社会が発展してゆくにつれて、様々な職業の選択肢自体は、だんだん増えてゆくのですが、まだまだ様々な理由で大半の人は、親の職業を継ぐか、あるいは、そうした仕事を継ぐような口がなかったために、仕方なく別の何らかの似たような仕事に就くような状況になることが多かったのではないか、ということなのです。
Cecye(セスィエ)