8月も中旬になったので、霊の話を始めます。
この文章では、「霊的」、「宇宙的」というような表現は、よく使っているのですが、ところが、これまで「霊」そのものについては、まだあまり詳しく述べたことがないので、今回から「霊」について、ある程度、詳しく述べてみたいと思います。
実は、霊とは何なのか、ということについて考えてみると、これが意外と難しい、というか、よく調べてみると、何が何だかよく分からないようなところがあって、そう簡単に「これが霊である」とは、なかなか言えないような難しいところがあるのです。
そこをあえて、霊とは何なのか、ということについて考えてゆくと、大まかに言うと、だいたい次のようなことが言えるのではないか、と思われます。
1、霊とは何か
まず最初に、これは時折、一部の人々によって目撃されたり、突然、背筋が冷たくなって感知されたりするような、いわゆる「幽霊」についての話になるのですが、幽霊というと、こうしたスピリチュアルな文章をお読みのみなさんは、よくご存知のように、確かに一部の霊的に非常に敏感な人々は、わりと簡単にそうした存在を感知したり、理解したりできるのですが、その一方で大部分の人々は、容易にその姿を見ることもできないし、その声を聞くこともできないので、なかなか、その存在すら証明できづらいというような状況になっているのではないか、と思われます。
さて、それでは、そうしたスピリチュアルな分野で一般に「霊」というと、どのようなイメージで認識されているのか、というと、暗い夜などに何となくフワッと白っぽい影のようなものが見えたとか、何となく何かが自分の体に触れて、とても暖かい優しい感じがしたとか、すでに亡くなった人が寝ている時に夢枕に現れて、何かメッセージのようなものを伝えてきたとか、また少し怖いタイプの話だと突然、何か得たいの知れない存在を感じて、強い寒気がしたり、とても怖い戦慄が走るような体験をしたとか、さらに今度は、もう少し厳(おごそ)かな体験だと、寺や教会や神社などで何か大きな光の存在のようなものや、ものすごく優しい愛や深い智慧の存在のようなものを感じたとか、あるいは、そうした存在達が、自分の心の中に直接テレパシーのような形で話しかけてきたなどというような体験が、わりと多いと思うのですが、こうした体験から考えてみると、どうも一般に「霊」と呼ばれる存在は、人間や動物や植物などが肉体的に死んだ後にも、物質的な肉体はないにも関わらず、何らかの形で残り続けている生命エネルギーの一種のようなものなのではないか、ということが言えるようです(参考1、参考2、参考3、参考4、参考5)。
Cecye(セスィエ)
2014年8月13日 9:03 PM, イスラム教 / おすすめ記事 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 仏教 / 宗教、道徳 / 神道