6、確かに信用や信頼感の向上は大切だが、それ以上に、もっともっと大切なのは、「多くの人々の本当の幸福の実現である」ということは、絶対に忘れてはいけない
さて、次には、こうした信頼感や信用が招く、少しねじれた人間の感覚について、考えてみたいと思うのですが、だいたい、次のような二つのことが言えます。
①確かに自分や周りの人々の幸福のためには、ある程度のお金や信用は必要だが、お金や信用は幸福そのものではないということには、十分に注意する必要がある
まず第一に言えるのは、これは、よくよく考えてみると、本当に複雑な気分になってくるのですが、現在、まだ先進国になって、せいぜい数十年ぐらいしか経っていない日本のような国の人々というのは、振り返ってみれば、ほんの数十年前までは、あっちもこっちもビルや道路などの建設ラッシュで、多くの人々は、「明日こそは、もっと豊かな生活を送れるようにするぞ」とか、「この好景気の波に乗って、自分も貧乏な田舎生活から抜け出して、何とか夢の一軒家やマンションの持ち主になるぞ」とか、「何とか自分の事業を軌道に載せるぞ」などと、本当に心の底から熱烈に望んで、朝から晩まで、一生懸命働き続けてきたわけです。
その際に多くの人々が、本当に一番苦労していたのが、「自分としては、仕事はできるし、人間としても、かなり真面目に一生懸命働いているつもりなのだが、ある程度、まとまったお金を借りるとなると、どこの銀行に行っても、なかなか厳しいものだなあ」とか、「この事業は絶対、将来性のある有望な事業のはずなのに、銀行や資本家の人々に、あちこち頭を下げて回っても、本当に資金繰りというのは大変なものだなあ」とか、「自分としては、絶対、成功できると思っていたのに、いつの間にか仕事や事業がうまく行かなくなって、大変な借金を抱えてしまった」とか、「ここで一千万あれば、絶対に、この事業を成功させられるはずなのだが、どこも自分の話を信用してくれない」などというように、家やマンションの購入や、あるいは、事業や投資のやりくりのたびに、「今の自分の信用は、この程度か・・・」とか、「これだけ働いても、この程度のお金を借りられる信用しか自分にはないのか・・・」などというように、はっきり言うと、表面的には、お金や仕事の苦労、しかし、実際には、自分自身や会社の事業の信用の良し悪しというものを、本当に、かなり肌身に沁みるような感じで実体験してきた人々が多かったということなのです。
その結果、こうした人々というのは、その後、いったいどのようになるのか、というと、ある人々は、人生のある段階から、「お金やお金、信用は信用、だけど、それ以上に大切なのは、自分や家族の幸福」などというようにある程度割り切って、考え方を切り替え得ることができたようなのですが、なかには、そうした考え方の切り替えが、いつまで経っても、うまく出来ずに、「お金があれば満足、お金が使えれば幸せ」などというように、いつまで経っても、お金を借りたり、使えること自身、つまり、信用のあることだけが、自分の人生の満足や幸福の基準のように、かなり心の底から、すっかり信じ込んでしまったような人々もいたようなのです。
その結果、これは、多くの人々が一緒に暮らしている社会の中では、いっけん、どの人も同じように見えるかもしれないのですが、お金や信用以上に、自分や家族の幸福を考えられるようになった人々と、そうではなく、お金や物の所有自体に強い満足や安心感しか覚えられなくなった人というのは、その後の人生では、かなり天と地に近いほど、その人自身の幸福という観点からは、大きな違いができてしまったのではないか、ということなのです。
Cecye(セスィエ)