私の文章には、若干、独特の言い回しがあるので、それが好きな人と、あまり好きでない、というか、最初は、取っ付きづらい人の両方の人がいるようなので、今回は、私の文章についての私自身の考えを載せてゆきたいと思います。
1、できるだけ、簡単な分かりやすい文章にするように心掛けているが、やはり、読む人により個人差があるので、万人をすべて満足させるような文章は、かなり難しい感じがする
まず第一には、とにかく、できるだけ専門用語や、難しい表現は避けて、簡単、かつ分かりやすい文章になるように心掛けています(参考1)。
ただ、そうすると、どうしても悩むのは、日本語の場合、特に最近のマンガ世代の人の場合、漢字が連続すると、途端に目がチラチラしてきて読みづらくなるでしょうし、そうかと言って、ひらがな(「平仮名」って書くと、途端に読みづらくなる人がいますよね(笑))を多用すると、今度は、文章の切れ目が分からなくなって、一つの文章を読む間に視線が、何度も前後したりするような事態になって、結局、読みづらくなるなどというように、結構、どこを漢字にして、どこをひらがなにするか、それから、どこに句読点(くとうてん)を入れるかというのは、ブログに載せる前に、ああだこうだと考えてしまうことが多いのです。
そうすると、どこかに妥協点を見つけて、「日本人の平均で見た場合、これは漢字にした方が分かりやすいから漢字にするけど、これは多分読めないだろうから、ひらがなにするか」とか、「ここに読点(とうてん、『、』のこと)を打っておいた方が、パッと見ただけで、すぐに意味が分かるからいいか」とか、「しかし、読点を並べすぎると、何だか分からなくなるな・・・」などという具合に、文章を載せる前に、あれこれ文章の校正をした上でアップしています。
それでも結局、パッと読みやすい人と、読みづらい人がいるようなので、実は、現在も、こうした読みやすい文章のあり方に関しては、いろいろ試行錯誤しながら、検討し続けているようなところがあります。
※結局、最初の頃に書いた文章は、少し句読点が多すぎるという結論に達したので、後から少しずつ、わりと標準的な日本語の書き方に近い感じで、句読点を減らすような校正をしています(2015年9月現在)。なにぶん量が多くなってしまったので、多分、数年がかりかな?
※さらにその後(2016年の10月頃からかな?)、句読点を減らしすぎると、今度は、元々の意図に反して、どうも気軽な感じで読みづらくなるようなので、適度に句読点を多くして、読みやすくなるようにしました。
2、このブログの文章の書き方について
第二には、このブログの文章の書き方になるのですが、だいたい、次のような三つのケースがあります。
一つめは、自分の心の中に、次々と浮かんできた言葉を、そのままコンピューターのワープロソフトで打ってゆくような形式になります。ですから無意識のうちに、小さい声でしゃべりながら(後から気付きましたが・・・)、それをそのまま文章にしていることも多いです。
二つめは、普段、私が身近な人に話している内容のうち、自分自身が、とても興味深く面白いと感じられた内容で、みんなも聞きたいのではないか、と思われるものがあった場合には、やはり自分が思いついた言葉を、次々とワープロソフトで記録しながら、ある程度、まとまった形の文章にしてゆくことが多いです。
三つめは、これは、少し難しい専門的な内容を扱うケースになるのですが、一応、そのままの形でも、いくらでも言葉は出てくるのですが、ただし若干、私の表面意識上の知識や経験に不安を覚えるようなケースもあるので、その場合には、この世的な知識や情報を一通り、自分が納得できるまで調べた上で、文章を書くことにしています(逆に、ザッと文章を書き上げた後に調べ直すこともありますが・・・)。
それというのは、自分の表面意識の中には、これまでの学校や家庭で学んだ知識や社会での経験や、それから、自分が独自に学んできたことなどが、たくさんあるのですが、はっきり言って、そうした知識や経験が、どれもこれも、すべてが正しいわけではないし、中には、結構、悪質な形で歪められた知識や経験というのも、少なからず含まれていたりすることがあるからです。
ですから、こうした多少、専門的な内容を扱う場合には、一応、それなりの知識や情報を集めて、その上で霊的なインスピレーションや、それから霊界や異次元世界や、外宇宙での自分の知識や体験に基づいた形の(そうした際に、再び霊的に調べ直すこともあります)、わりと整った形の文章を書くようにしています(参考2)。
Cecye(セスィエ)
2013年7月18日 9:08 PM, おすすめ記事 / 私の霊的な仕事について