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私の文章について Part 2

3、若い頃の失読症の後遺症と、霊的な言語を、現代の日本の標準語に変換する際の違和感について

 第三には、前にも少し述べたことがあるのですが、実は、これは私の生い立ちに理由があると思われるのですが、私自身の言語能力に多少問題があって、大学は卒業しているのですが、後から考えてみると、どうも若い頃、「失読症」だったらしく、言葉の基本的な理解に多少問題があったようなのです(本人が気付いていないことも多いようですが、似たような症状の人を時々見かけます)(参考)。

 それで20代前後の頃には、毎日のように簡単な日常単語から、難解な政治や経済や哲学の用語に至るまで、「この言葉の意味は、漢字だと、こんな意味のように感じられるが、実際の意味は、こういうことらしい・・・」などという具合に、数千の日本語の単語や熟語に関して、単に辞書で調べるだけでなく、自分の体の具体的な動作や、自分自身の心の動きや、実際の体験に基づいて、一つ一つ完全に理解できるまで学び直していった経緯があります。

 その結果、「難しく書いてある本も、結局、言いたいことは単純だったりする」とか、「簡単に書いてある本の内容も、実際に実践しようとすると、結構、難しかったりする」などというように、いろいろな知的体験を積み重ねていったわけなのですが、ところが、いまだに自分自身で、ちょっと問題があると感じているのが、日本語の句読点を、いったいどこに打てばよいのか、ということなのです。

 つまり、読者を完全に信頼しきるなら、もう適当に句読点、ほとんどなしの文章でいいということになるのですが、ただ、後から自分で読み直してみると(私は、読むのが結構、早い方なんですが・・・)、句読点がないと、結構、読みづらかったりするので、「まあ、平均的に見て、読みやすいのは、この辺りかな」というような感じのところに、後から適当に句読点をポンポンと打ち直しているような感じになります(これって日本語の場合、出版社の編集者も苦労しているみたいで、特に、これが正式な句読点の付け方というのは、どうもないらしいです)。

 それから、こうした文章の中には、かなり高い高次元の世界に意識を合わせながら、本当に慎重に一つ一つの言葉を選んで、ブツッブツッと話した内容をそのままワープロで打って、文章に起こした内容もあるのですが、こうした文章の場合、「多分、サッと流し読みにされても、全然、本当の意味が分からないんじゃないかな」と思ってしまうのです。

 その結果、一つ一つの言葉を、しっかり理解してほしいがゆえに、あえて句読点を多く使ってしまった文章もあります。

 

 あと、もう一つ問題なのは、私の場合、霊的な言語を、一般によく使われているような現代の日本の標準語に翻訳して書いているような感覚が非常に強いのですが、そうした霊的な言語が、たいていの場合、日本語の文法の構造と反対で、結論をパッと述べた後に、その理由を述べていったり、あるいは、自分の意思を、かなり明確に、パッと表すようなタイプの、いわゆる英語圏系の文法の方が多いようなのです。

 つまり、世界の言語を、かなり大雑把に分類すると、言いたいことをパッと明確に表すタイプの言語と、言いたいことが、文章の最後の辺りにあって、多少分かりづらいタイプの言語と、それから「誰が誰に何をしたか」、いわゆる5W1H(who, what, when, where, why, how)を、短いセンテンスで、パッと伝えるタイプの言語と、主語や目的語が省略してあって、ある程度、相手が顔見知りとかでないと、ちょっと分かりづらいような、ぶつぶつと話すタイプの言語の二種類の言語体系があるわけなのですが、日本語の場合、どちらかと言うと後者に入るので、そうすると英語圏系の文章が、霊的に伝わってくると、それを日本語化して、文章にするのに多少、困難を感じることがあるのです(逆に英語に慣れ親しんでいる人は、こうした文章に親近感を感じることが多いようです)。

 その上、さらに内容的に難しいものを書こうとしている場合には、霊的にいろいろ調べたり考えたりして、自分の頭の中に、かなり大量の情報をダウンロードした感覚の後、「さて、これをいったいどうやって、素人や初心者の人でも分かるように簡単に書こうか・・・」というように、ちょっと間があいた後、「まあ、とりあえず書いてみてから考えるか・・・」などというような感じの状況になることが、結構多いです。

 ですから私の文章には、若干、そうした言語表現上の問題があるので、その辺は多少、割り引いて、「要するに何を伝えたいのか」、「要するに、こういうことが言いたいらしい」などというような感じで読んでもらうのが、一番良いのではないか、というように感じております。

※私の場合、霊的な仕事をしている際は、かなり膨大な内容を、とてつもないスピードで取り扱っていることが多いので、たいてい、よほど気になること以外は、自分の表面意識では直接、把握していないことが多いです(つまり、霊的、宇宙的な仕事はしていても、普通の人間の生活をしているということです)。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2013年7月19日 9:06 PM, 私の霊的な仕事について



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