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現代のような「信教の自由」の保障された民主主義国では、もはや単なる侵略戦争やテロの口実にしかならない「聖戦」という概念は、神の意思に完全に反したものになってしまっている

古代や中世の時代には、「信教の自由」を得るための「聖戦」という概念は非常に重要だったのかもしれないが、現代のような「信教の自由」の保障された民主主義国では、もはや単なる侵略戦争やテロの口実にしかならない「聖戦」という概念は、神の意思に完全に反したものになってしまっている

 宗教的な理由による戦争と言えば、キリスト教の「十字軍」や、それ以前のイスラム教の大布教時代の「聖戦」というのがとても有名なのですが、とにもかくにも言えることは、こうした中世以前の時代というのは、現代の民主主義国では当たり前の「信教の自由」や「人権」のような概念がとても希薄だったので、たいてい、その国の中で何か事あるごとに弱そうな宗教や民族に政治や軍事上の失敗の責任を押し付けては乱暴狼藉を働いたり、また大した正当な理由もないのに宗教的な旗印を掲げて、異なる宗教や民族の国々に侵略するような戦争が、ひっきりなしに起きていたような時代であったということなのです。

 それゆえ、そうした古代や中世のような時代において、現代人の考える「信教の自由」や「人権」に相当するものを手に入れるには、もし、いろいろな理由をつけては、その宗教の信者に加害行為を加えるような政治権力者や支配民族がいた場合には、敢然と抵抗する意思と実力を示して、そうした政治権力者や民族に対して自分達の一定の立場を認めさせるか、あるいは逆に自分達が、その国の支配者になって、自分達の宗教的な自由や人間的な権利を手に入れるしかなかったような時代が非常に長かったということです。

 ですから、そうした点で見ると、これは完全に明らかな内容になるのですが、昔昔のその昔、まだ古代や中世の時代に、仮にどこかの宗教の預言者に対して、現代人から見ても、かなり正当そうな神仏に当たる存在が、宗教的な理由に基づく「聖戦」の必要性を説いたとしても、それはその時代には、そうでもしないとその宗教を信じる人々の信教の自由や人間的な権利が得られなかったからであったのです。

 それゆえ当然のことながら、特に近代以降の時代においては、基本的に市民の権利の一つとして信教の自由や人権の保障されているような民主主義国内における「聖戦」を旗印にしたテロ行為や、そうした国々に対する侵略戦争に関しては(数十年前の世界各地の植民地の独立戦争に関しては少し異なりますが)、この宇宙の創造主を初めとする、いかなる神仏に当たる存在も何ら霊的な支援も指導も行っていないので、霊的に見た場合、それらは単なる犯罪や侵略戦争としてしか認識されないということは、よくよく知っておくべきなのではないかということです。

※ちなみに近現代における戦争やテロにおいて、自殺を伴う殺害や破壊活動を行った場合、死後、霊的には、いったいどうなるのかというと、残念ながら、たいてい死後のパラダイスでの生活はなくて、ほぼ同じような時代の同じ国か、あるいは、その時点で敵対関係にあった相手側の宗教や民族の所に生まれ変わってきて、再び同じような人生の境遇に置かれるようになるか(たいてい前の人生よりも、多少大変な境遇になっていることが多かったようです)、また、その人の宗教的な信念が非常に強かった場合は、そのまま生前にいた地上の世界とほとんど同じような幽界に留まって、何度も何度も似たような体験を繰り返すようになるか、それから、これは少し複雑な話になるのですが、その人をそそのかして、そうした自殺攻撃をさせた人間のそばに、かなり長い期間に渡って霊的に留まって、何らかの反省や謝罪の行為を求めるか、あるいは、その人が再び地上の世界に生まれ変わってきた時に、今度は何らかの形でその人に復讐する立場に立つか、もしくは何らかの形で世話を受けて、借りを返してもらうような形の生まれ変わりの過程に入ることが多かったようです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年9月20日 9:03 PM, イスラム教 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 仏教 / 宗教、道徳 / 政治 / 神道 / 軍事



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