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コラム 何千年も前から日本に神道があったなんて、私には全然信じられない

 最近はあまり時間がとれないので、今回は、うちで個人的に話していた内容から、少しだけ文章にして載せておきたいと思います。

 

神社から中国や朝鮮起源のものを除くと、鳥居、建物、鏡、紙、服、祝詞(のりと)とほとんど全部なくなってしまうので、常識的に考えて、神道は、歴史のどこかの段階で為政者の都合で権力基盤の正当化のために作られた一種の政治宗教だったのではないか

 時々、「神道は何千年も昔から、ずっと続いている日本古来の信仰である」とか、「この神社は、何千年も前から続いている大変由緒ある神社である」というような話が、かなり堂々と述べられていることがあるのですが、これは次のような理由から、正直言って、私はあまり信じていないということです。

 理由は単純で、現在の日本語は、現在の多くの人々の理解している内容としては、最低でも二千年前ぐらいから話されていたのではないかと考えられているので、その延長線で多くの人々は、あたかもそうした何千年も前の昔から現在と同じような神道が、多くの日本人に受け入れられていたかのような印象を覚えがちなのですが、ただ、よく考えてみると、現在の神社の建築様式や神社の儀式の大部分は日本オリジナルのものではなくて、何のことはない、ほぼ全部、昔の朝鮮や中国起源のものがほとんどなのではないかということなのです。

 「それ、何のこと?」と疑問をお持ちの方がほとんどだと思うので、具体例をあげて説明してみたいと思うのですが、まず現在の神社の建築技術の大部分は日本古来のものではなくて、その起源はおそらく、ほぼ全部、朝鮮経由で中国から伝わってきたものばかりであるということです。

 つまり神社の鳥居や建物を作るには一本一本、木を切り出したり、柱や梁(はり)といった木材に加工したり、それを釘などで(使わない場合もありますが)、設計図通りに上手に組み立てる必要があるのですが、よく考えてみると現在、日本に残っている神社の建築技術というのは、ほぼ全部、朝鮮もしくは中国方式のものであるということなのです(もっと正確に言うと、たいていの神社の建築様式というのは、中国から入ってきた仏教の寺を作る建築技術の流用だと思われます)。

 次に儀式について考えてみると、まず、もし古代にも現在と同じように鏡が祭ってあったとするなら、みなさんもよくご存知のように古代は青銅製の鏡で、それが時代と共にいろいろと工夫されながら近現代にかけて、だんだんガラス製のものに変わっていったということなのですが、この技術も日本オリジナルのものではなくて、ほぼ確実に元々は朝鮮や中国(近現代にかけては欧米)のものだったのではないかということです。

 それから神社で儀式をやると、必ず神主が、パラッパラッとお祓(はら)いをやるのですが、この神社の儀式の必需品である紙を作る技術も昔の中国の技術(紙がないと木の枝と葉っぱで、パラッパラッになってしまいます?)、それから神主や巫女さんの儀式の服も、どう見ても見るからに朝鮮や中国起源のもの、さらには儀式に使う祝詞(のりと)も、よく考えてみると日本古来のものというよりも、昔の日本語と中国語の入り交じった、おそらく仏教(密教)の影響を受けて作られたもの、つまり今の感覚で言うと英文とひらがなとカタカナの入り交じったような文章ばかりなので、正直言って、現在残っている神道に使うほぼ大部分のものが、元々日本にあったものなのではなくて、千年、二千年前の朝鮮や中国から伝わってきたものばかりなのではないかということなのです。

 ですから、もし神道からこうした朝鮮や中国起源のものを除いてしまうと、鳥居もなければ、神社の建物もなく、それから鏡もなければ、神主や巫女さんの服もなく、祝詞も全然違うものになってしまうということなのです。

 このように単純な推測をつなぎ合わせてゆくと、はっきり言って、神道の起源は分かるようでよく分からないところが非常に多いのですが、少なくとも現在の神道から、昔の朝鮮や中国起源の言葉や文字や技術や宗教思想のようなものを全部、ズボッと抜いてしまうと、今日、多くの日本人が信じているような神道のイメージがほとんど全部なくなってしまうようなところがあるので、私は正直言って、これは歴史のどこかの段階で、後から為政者の都合で、いろいろそれらしい神話や建物のようなものを作り上げては、さも昔からそうした信仰があったみたいに説明している一種の作り話だったのではないか、というように率直に感じております(話すと短かったのですが、文章にすると意外と長いですね・・・)。

 

 追伸

 それと私が子供の頃、日本史を勉強して、どうしてもそう簡単に納得できなかったのは、古代にそんなにすごい技術を持った大勢の渡来人がやってきたら、「どうしてヨーロッパやアジアのよくある歴史みたいに侵略されなかったのかな?」ということでした。

 それというのは普通、世界史の常識としては、原始部族みたいな人々がいるところにそういう人達がやってくると、たいてい彼らは、すごい武器を携えてやってくることが多いので、最初はいろいろあっても、結果としては、その土地を侵略して支配者になるようなケースが、ほとんどだったからです(逆に侵略した人々が、後からその王権の統治の正当性を誇示するために、「自分達は、大昔からその土地にずっと住んでいたのだ」と主張し出したということであれば、簡単に納得できますが・・・)。

 

 あと、私が素朴に不思議に感じるのは、日本の古代には、竪穴(たてあな)式住居という形式の家を作って暮らしていたということらしいのですが、普通の生活感覚としては、日本は夏は、ものすごく温度や湿度が高い上に、しょっちゅう大雨が降るところなので、素朴な疑問として、「こんなにしょっちゅう大雨が降る土地に、わざわざ全然排水できないような大きな穴を掘って、その上、そこに火を燃やす炉(ろ)を作って生活できるわけないではないか」と思うのです(だって大雨が降ったら、少し雨漏りするだけで、大変だ。火が消えた。飯が食えない。それ水をくみ出せー!、大変だー。溺れる。家から逃げ出せー!、になると思いませんか・・・)。

 そうしたいろいろな疑問があるので、正直言って私は、現代の日本の古代史の話はフィクションとしてはあり得ても、事実としてはあまり信用していません(火焔(かえん)土器や宇宙人っぽい土偶(どぐう)などに関しても、あんな実用性のない、ヘンテコなものがパタパタ見つかること自体、私はあまり信用していません。というか、儀式用にしても、なんか雰囲気が少し変な感じがしませんか?)。

 

Cecye(セスィエ)

2012年3月23日 9:02 PM, おすすめ記事 / コラム / スピリチュアリズム、霊界 / 歴史



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