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イエスについて Part 6

②とかく、ユダのような背信者の話があると、宗教運営というのは、ものすごく簡単になるものなのだが、ただ、それは、信仰的な利益誘導と、恐怖心の束縛との間に生じた、一種の錯覚的な心の平安や幸福であることも多いので、もうそろそろ、多くのキリスト教徒も、キリスト教信仰の効用と限界について、もう少し客観的に理解すべき時期に入り始めているのかもしれない

 第二には、これは、その後のキリスト教を信仰している、多くの信者の心理を見れば、ほぼ明らかなのではないか、と思われる内容になるのですが、とにもかくにも、キリスト教のイエスの物語を読むと、ものすごく偉大な、まるで、本物の神のような聖者と、彼を慕う、心弱く、罪深い弟子達と、特に、その中でも、信仰に破れ、師を試し、最低の裏切り者となったユダの話が、多くの人々の心に刻まれてゆくことになるのです。

 その結果、キリスト教の多くの信者達は、いったい、どのような精神状態になるのか、というと、「自分は、どんなに大変な状況でも、神を信じ、イエスを信じる」、というところまでは、分かるにしても、そのおまけとして、「自分は、そう簡単に、何でも疑い、試(ため)そうとするような、ユダのような人間には、絶対になるまい」、と、常に信じることの大切さと、疑うこと、というよりも、自由に考えることの危険性や怖さというものを、何度も何度も、そうした話を聞くうちに、すっかり心の底まで刷り込まれてゆくようなところがあるのです。

 その結果、信じることの素晴らしさの影で、疑うことや、自由に考えることの絶対的な放棄を強いられることになった、その後の多くのキリスト教徒達は、古代から中世の間、ルネッサンスや宗教改革の時代に至るまで、千年一日のごとく、まるで同じ動作を繰り返す機械やロボットのように、永遠に終わることのない、ひたすら同じことのみが繰り返し続いてゆくような、悠久の時間の中で、ずっと同じような生活を、何十世代も、何百世代も繰り返し続けるようになっていってしまった、ということなのです。

 そうすると、これは、熱心なキリスト教徒の方には、ちょっときつい指摘なのは、よく分かるのですが、ここでは、あえて、言わせていただきますが、もし、イエスの教えに、ユダの話がなかったら、キリスト教徒の人は、近現代以前の、もっともっと昔の時代から、ずっと伸び伸びと、自由に、いろいろなことが楽しめるような、幸福な生活ができたのではなかったのか、ということと、もし、そのような形で、ユダの話がなかった場合には、もっと、ずっと早く、教会の権威というものは、あっさりと失墜して、もっと緩やかで、フレンドリーな、人間的な信仰生活ができるようになっていたのではなかったのか、ということなのです。

 そうすると、ここでは、非常に意外な結論が出てくるのですが、結局、ユダの話がついていると、いったい、誰が、一番、得するのか、というと、これは、キリスト教会の一人一人の信者の側ではなくて、そうした一人一人の信者を管理している教会の側になってくる、ということ、つまり、そうした信者の人々が、何かするたびに、「あなたは、とんでもない不信心者だ」、とか、「みんな、キリスト教徒の仲間を裏切ろうとしている、とんでもない人間がいるぞ」、などという具合に、わりと簡単に、教会の分裂や信者の離反を防ぐことができた、教会の側になってくるのではないか、ということなのです。

 これ以上の結論は、あえて避けますが、要するに、ユダのような話があると、宗教団体の運営というのは、非常に易しくなる、ということと、それと、そうした宗教団体の側としては、多くの人々の集団心理を、常に、その宗教の定める一定の範囲内のイメージや考え方の方向に、宗教的な利益誘導と、恐怖心の束縛によって、わりと簡単に制限し続けることができる、という点において、非常に便利なものであった、ということなのです。

 ですから、古代から中世、そして、近現代に至るまで、そうしたキリスト教のような信仰がもたらす、精神的な安らぎや幸福というものを、多くの人々が、心の底から求め続けていた、ということまでは、私も素直に認めるのですが、ただ、もし、それが、ねつ造された、一種の作り話と恐怖心の檻の中での、精神的な錯覚のようなものであったとするなら、私は、そうした錯覚の安らぎや幸福の世界からは出て、そうした錯覚ではない、真実の安らぎや幸福の世界の探求というものを、多くのキリスト教徒も、もうそろそろ始めてもよい時節が来ているのではないか、というように、率直に感じる今日この頃なのです。

 

 続く・・・

 

 

 追伸

 イエスの話の続きは、少し置いて、また来年になります。

 この話って、推理小説みたいで、面白い〜、という声が多いようなので、今後は、推理小説仕立ての文章に変更することも、検討中です?

 

Cecye(セスィエ)

2011年12月28日 9:24 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観



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