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イエスについて Part 7

 昨年に引き続き、今年も、キリスト教について、もう少し述べてみたいと思うのですが、今回から、キリスト教の代表的な聖人の「パウロ」の話になります。

 実は、昨年の聖書やキリスト教について、いろいろ書き始めた頃から、結構、霊的に、いろいろ、ごちゃごちゃと邪魔されるようなことが多くなって、ちょっと辟易(へきえき)してしまったようなところがあるのですが(私は、年末、年始共に、とても疲れました・・・)、それというのも、多分、「マグダラのマリアの話に、それから、ユダの話に続いて、その次は、パウロの話しかないな・・・」、と、私が、強く考えていたからなのではないか、と思われます。

 今回から、その「パウロ」にちなんだ話になります。

 

霊的に見た場合、キリスト教の代表的な聖人と言われる「パウロ」は、かつて、一度も天国に来れたことはなかったし、また、彼の説く、信仰による救済のみによって、天国に上がれたキリスト教徒も、これまで、ただ一人もいなかった

 第四には、今回は、キリスト教では、たいへん、偉大な聖人になっている「パウロ」について、お話ししてみたいと思うのですが、まず最初に申し上げておくべきことは、この現在のキリスト教において、たいへん、偉大な聖人として扱われている「パウロ」という人は、キリスト教で言う、天使や聖人のいる世界、つまり、天国の高い世界になんて、全くいないし、それから、ほんの一度でも、そうした世界に足を踏み入れたことすらも、全くない人である、ということです。

 これは、少し冷静になって、よく考え直してみないと、なかなか分かりづらいのではないか、と思われる内容になるのですが、まずパウロが説いたとされる「イエスに対する信仰による救済」ということについて、考えてみたいと思うのですが、とにもかくにも、この世的に見ても、また、あの世的に見ても、そうした信仰による救済なんて、現実には、全くあり得ないのではないか、ということなのです。

 例えば、これは、この世であっても、霊界であっても、ほとんど同じなのではないか、と思われる内容になるのですが、ここに、とんでもない殺人や強盗を行った犯罪者がいるとして、そうした犯罪をした後に、その人物が、「いや、私は、偉大な神を信じているので、絶対に無実のはずだ」、とか、「いや、私の信じる偉大な神は、何でも許してくれる、ものすごい神なので、絶対に、私は無実になるはずだ」、などと、何度、一生懸命、話したとしても、それが、この世であったとしても、また、死後の世界の霊界であったとしても、「お前、何を馬鹿なことを言っているんだ。そんなこと言ってる暇があったら、さっさと、お前の罪を償え!」、とか、「そんな偉大な神と、とんでもない犯罪者のお前に、いったい、何の関係があるんだ!」、とか、「そんな、いい加減な神の名前を言って、その神に、お前の罪を押し付けようとしたって、そうは、問屋が卸(おろ)さないぞ!」、などというような話になって、普通、どこの誰も、相手にしてくれないに決まっている、ということなのです。

 これが、キリスト教の信仰になると、突然、話は打って変わって、「いや、あなたの罪は、イエス・キリストの御名(みな)において、必ず、許されるはずです」、とか、「イエス・キリストは、偉大な神の子なので、あなたの罪を、必ず、許してくれます」、などというような話が、すぐに、まるで当然のように、まかり通ってゆくことになるのですが、はっきり言って、こんな理屈、この世においても、また、死後の世界の、あの世においても、全く通用するはずない、ということなのです。

※これは、キリスト教で、代表的な聖人とされている「パウロ」に対する批判を述べているのであって、だからと言って、すべてのキリスト教徒が、全然、天国に行けなかった、とか、信仰は、全く無意味である、というような意味ではありません。細かい説明は、また後日になります。

※「パウロ」を語源にした名前は、古今東西のキリスト教圏では、非常にメジャーな、よくある名前であるのですが、私は、これも、タイム・マシンによる歴史のねつ造の典型的な例であると考えているので、おそらく、例のごとく、因果関係的には、現代の「ポール」とか、「パブロ」というような名前が先で、それが原因になって、現代から見ると、過去の時代に当たる「パウロ」という名前が、後づけで決まったのではないか、と考えています。

 ですから、別に、「パウロ」にちなんだ名前の人であっても、霊的に見た場合には、こうしたキリスト教で聖人になっているパウロとは、全く関係ない、というように考えて、ほとんど差し支えないのではないか、というように、私は考えております(アルファベットの「P」で始まる音(おん)は、響き的には、とても明るく、華やかなイメージになるので、キリスト教圏において、パ、ピ、プ、ペ、ポ系の音を含む名前が、子供の名前に好んで、付けられたのは、当然のことだと思われます)。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年1月5日 9:11 PM, おすすめ記事 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観



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